獅子窟寺、お大師さまの石仏の顔を探そう!去年の11月豪雨で流されちゃったみたい
ここはかつて空海(弘法大師)が修行した場所とも言われていて、当時、空海が呪文を唱えたら空から星が降ってきて、星田の三か所(星田妙見宮、星の森、光林寺)に落ちたとされる降星伝説/八丁三所も残る所です。
(真言宗高野山派、創立したのが役 小角(えんのおづぬ)、行基や空海にも縁のあるお寺。それが獅子窟寺だ!)
そんな由緒ある獅子窟寺へ向かう途中に、お大師さまの水という清水が流れる場所があるんですが、交野タイムズ読者の方から、
「昨年11月の豪雨で、お大師さまの水の石仏が流されてしまったようで、探したけれど顔がまだ見つかっていない」
というお話を伺い、実際に現地に行ってみることに。
獅子窟寺に行ったことがありますよーっていう方はご存知だと思うのですが、山の中にあるお寺ということで道中、急な坂道などもあって行くのはなかなか体力が必要です。
(参道。入り口のところからしばらくずっと坂道が続きます)
入り口のところに杖スポットがあって、登る時の支えにしてくださいということで、1つ使わせていただきました。
えっちらおっちら登っていきます。
獅子窟寺までの道は整備されているのですが、とにかく急な坂道が多く、修行のようです。
歩くこと20分くらいでしょうか、しばらくすると平らな道になって、その先に看板が見えてきました。
今は、交野市星のまち観光協会になっていますが、その前身だった組織の1つ、私市観光協議会の看板です。
そこには、こっち行ったら獅子窟寺、あっちは王の墓という案内が出ていました。
王の墓の手前に「弘法の水が湧出している」と書かれていて、そこが今回の目的地。
(弘法大師=お大師さん)そこには、こっち行ったら獅子窟寺、あっちは王の墓という案内が出ていました。
王の墓の手前に「弘法の水が湧出している」と書かれていて、そこが今回の目的地。
お大師さんの水
この先にある
細い道を進むとすぐにお大師さんの水と呼ばれる湧き水スポットが見えてきました。
お大師さまの水
お大師さまの水
何時の時代か、誰が云うとはなしにこの谷から(男石と女石)出る水を弘法大師の水やと云われて来た。
この度、弘法大師千百五十年を記念して有志の方によって大きな石を動かしその上に大師の石像を鎮めました。
この水で手を洗い、口をすすぎ禊をし大師さまのお徳をしのぶ湧水となれば幸せです。
昭和59年1月吉日
何時の時代か、誰が云うとはなしにこの谷から(男石と女石)出る水を弘法大師の水やと云われて来た。
この度、弘法大師千百五十年を記念して有志の方によって大きな石を動かしその上に大師の石像を鎮めました。
この水で手を洗い、口をすすぎ禊をし大師さまのお徳をしのぶ湧水となれば幸せです。
昭和59年1月吉日
いまからおよそ40年前に設置された案内板には、弘法大師空海の生誕1150年を記念してここに石像を置いたと説明がされていました。
今なお、水が出ていました。
案内板のすぐ下に赤い前掛けをしている石仏が1体あり、これがお大師さまの石仏です。
あれっ??顔がある
この場所で情報提供いただいた方と待ち合わせ。
待つことしばし、1人の男性が登場。
この方は、交野の里山で竹の伐採をされていらっしゃる方で、獅子窟寺の許可を受け、この辺りに生えてきてる竹の伐採をボランティアでされていらっしゃる方でした。
(交野の里山は今、竹の猛攻にあっていて、遠目では綺麗に見える山々も中に入ると竹がかなりあって、里山環境に影響があるそうです)
ミスター交野里山Oガキさん
ミスター交野里山Oガキさん曰く、去年の12月に竹伐採でここに来た時、何か違和感を感じて周囲を見てみると、あるべき場所にあるはずの石仏が見当たらない。
周囲の状況から察するに、11月の豪雨でもしかして流されてしまったのでは?
と思い、一緒に来ていた友人と付近を探した結果、顔以外は見つけることができたとのこと。
見つかった場所を案内してもらった
竹がすごい生えていているところを通り、たどり着いたのは、わずかにV字になってる「ここは、雨が降った際、川みたいになるところかしら」と思われるところ。
写真では分かりづらいのですが、水のない谷間の川といった感じのところです。
ミスター交野里山Oガキさんの説明では、石仏のすぐ下がこの谷川筋なので、鉄砲水みたいになったお大師さまの水が、石仏を押し流したとするとこの辺りかな?と考え、探してみると、ほぼ埋まった状態で台座の角が少し見えたのがあったそうです。
ここにこう、石仏の台座がちょっとだけ見えていたので、掘り起こしたとのこと。
台座(胴体)はなんとか見つけることができましたが、台座に乗っていた顔がどうしても見つからなかったとのこと。
かなり重量のある石仏が、もとあった場所から10mくらい下で見つかった、さらにほとんど土砂で埋まっていたということは、水の勢いが当時かなりすごかったことを物語っています。
ひとまず見つかった台座は、また大雨で流されたらアカンと思い、当時あった場所から安全な場所に移動させ、見つからなかった頭の代わりに石を置く処置をされたとのこと。
かなり重量のある石仏が、もとあった場所から10mくらい下で見つかった、さらにほとんど土砂で埋まっていたということは、水の勢いが当時かなりすごかったことを物語っています。
ひとまず見つかった台座は、また大雨で流されたらアカンと思い、当時あった場所から安全な場所に移動させ、見つからなかった頭の代わりに石を置く処置をされたとのこと。
顔は今、代わりに石を置いてもらってます。
この顔の代わりの石もよく見つけたなぁと思うくらい、顔っぽい石なんですが、実際の石仏の顔はもっとちゃんと目とか鼻とかがあるものでした。
ちなみに、これが流される前のお姿
写真は2018年(ハラダ@交野タイムズ撮影)のもの。
当時は、まさかその後、お顔がなくなるなんて思ってもいませんでした。

見比べるとやっぱり違う・・・
獅子窟寺さんが言うには、王の墓近くの他のお地蔵さんの顔もずっと以前に無くなったままのものもいらっしゃるそうで、このお大師さまの石仏のお顔も今後、二度と見つからない可能性もあります。
春になって、草木が生い茂るとますます見つからない・・・という話をミスター交野里山Oガキさんともさせていただき、近々、本格的にお大師さまの石仏のお顔を捜索してみようかと思います。
毎年正月には、頑張れるときは獅子窟寺へお詣りさせてもらっていて、お大師さまの水からお地蔵さま、王の墓まで寄るようにしています。
こちらで情報は知っていましたから、編集長が記事にされているように頭が変わっているお大師さまへ正月にお詣りして、なるほどなあと思いました。
南側(になるのか?)の竹林が例年に比べて荒れている感じを受けました。また写真にあるように案内板が倒れてしまいましたね。
いったいどんな水が出ればお大師さまの石像が流れるのか、しばし考えましたが、
まさかこの記事にあるような、南側の斜面をかなり下ったところまで台座が流されていたとは想像もしませんでした。
近年の暑さのためか、去年(2024年)の正月は、編集長が撮影された頃(2018年)とは違って、湧き水が完全に干上がっており、今年の正月も多いとは言えなかったですから、
一方で石像を流すほどの鉄砲水が発生したことに驚きます。
土地に詳しいOガキさんが立ち入られて見つからないのなら、あの斜面をこれ以上捜すのは危ない上、見つけ出すのは難しいように感じます。