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大阪府交野市のローカル情報がめっちゃある!

ゲタ電〈その1〉【カタノテツ】交野の鉄道ものがたり:file.53


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交野を走る鉄道のことを、新旧おりまぜながら、『明円勝(Masaru Myoen)さん』と、時々『駐在員さん』の写真等のご協力により紹介しております。

今回は『明円勝(Masaru Myoen)さん』によるカタノテツです。


カタノテツfile.53

ゲタ電〈その1〉
片町線には『ゲタ電』なる電車が走っておりました。



庶民が下駄履きで気楽に乗車した電車が走っておりました。

片町線は何時の頃から車体をオレンジ色に塗装したのか分かりませんが、いかつい顔の電車には、いささか派手な感じでした。

ときどき車体色が一両だけ異なる編成も見かけましたが、妻面の表記を見ると遠く関東から転属して来た事が分かり、片町線の電車はいつになったら新性能化されるのかと思いました。

1971年12月  
津田-河内磐船  
クハ79

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この車体の設計は、昭和32年に登場する101系新性能電車の元となったサイズであったが、ドアが片開きで開口幅が94cmと狭く、101系では両開き130cmとなりました。

丁度運転席辺りの線路下に車が通れる道路があり、右の標識には桁下20.2mとありますが、現在は1.9mの標識が立っています。



1971年12月  
津田-河内磐船  
クハ79

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この車両は旧型国電マニアには、いかつい正面顔・押込み型屋根上通風器・すべり軸受け台車・木製床等、たまらないアイテムだったと思います。

しかし乗客はどの様な思いだったのでしょうか。



つづく。


0_お菊
お菊のひとこと『ゲタ電』なる言葉を初めて聞きました。
(まだまだ勉強が足りません)

下駄履きが日常生活に普通に登場していた時代…ノスタルジック!

いずれの電車も「交野の風景」のひとつだったのですね〜


▼『カタノテツ』バックナンバーはこちらから



  明円勝さん(Myoen Masaru)プロフィール


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1956.1.25生まれ
大阪府守口市出身
大阪工業高等専門学校 機械工学科卒
音楽好き、淡水魚好き、鉄道好き

撮影 文章:明円勝さん
記事編集:お菊
お菊過去記事はこちら

ライター:katano_times katano_times


 コメント一覧 (5)

    • 5. 淀川コナン
    • 2025年02月09日 21:23
    • かずのこ太郎様、失礼しました
      クハ79で間違いありませんでした
      この頃の車両は色々走っていてワクワクしてた
      記憶があります
      特にクモハ31、32がお気に入りでした
    • 4. 淀川コナン
    • 2025年02月09日 21:17
    • かずのこ太郎様、失礼しました
      別のwebでクハ79であることを確認できました
      元々はクハ47からの4扉改造された車両のようですね
      ※当時好きな車両の1つでした
    • 3. かずのこ太郎
    • 2025年02月03日 01:32
    • 淀川コナン様、確かクハ55形には4扉車はいなかったと記憶しております。できましたら4扉のクハ55形の具体例をお教え願えませんでしょうか?
    • 2. 淀川コナン
    • 2025年02月02日 10:02
    • 3 2枚目の写真の電車はクハ55です
    • 1. かずのこ太郎
    • 2025年02月01日 18:31
    • 2枚目のクハ79はクハ47形から改造された車両ですね。2扉だった車体を戦時下の輸送力増強のため扉の増設を行った訳ですが、実車に乗った事の無い立場からすると運命を弄ばれた悲運の車両という印象があります。

      クハ79形が属する72・73系電車を取り上げた鉄道ピクトリアル誌の増刊号が2月中旬発売されるとの事です。今回取り上げられたような車両が掲載されているだろうかと期待しています。

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