交野にあった信長にも関係がある『私部城跡』が新しく市指定史跡になったみたい!
お城
お城といえば、大阪城とか彦根城とか姫路城とか安土城などが有名で、デデーンっと天守閣があってめっちゃデッカい重厚感のある殿!とーのー!!っていうイメージを持ちますが、それらのお城は織田信長が本能寺で自刃するあたり以降のお城であって、いわゆる戦国時代のお城はちょっと様子が違っていたようです。
戦国時代っていうとまさに文字どおり、戦いが多かった時代。

群雄割拠の時代、今でいうと、ちょっと突拍子もない例かもしれませんが、例えば交野市、枚方市、寝屋川市とかそれぞれの市が互いに覇権を巡り、そして己が領土を広げるために争っている状況(そんなことにはなっていませんが)が戦国時代だったんじゃーないでしょうか。
日々、領土拡大等のため各地域の領主は他国、隣国へ進行したりもしたようで、そういう場合に軍事拠点としての「お城」が重要だったようです。
少し前置きが長くなりましたが、お城というのはザックリと下記戦国時代・それ以降の2つに別れるかと思います。
(戦国時代以前にもお城のようなものはあったかと思いますが、ここでは便宜上下記2つとしておきます)
① 戦国時代のお城
・・・軍事拠点(機能的、機動的、実戦的)
↓
② それ以降のお城
・・・権威の象徴、一応軍事拠点(機能的、象徴的、居住的)
文章にすると違いがすんごく分かりにくいので、もっとシンプルにいうと戦国時代のお城はそれ以降のお城とは全く異なった外観をしていたようで、
① 戦国時代のお城
=砦みたいなイメージ
② それ以降のお城
=時代劇とかで見るいつものやつイメージ
とこうなろうかと思います。
ドドーン!殿のお〜な〜りぃ〜!パッパカパーン!とか遠山の金さんとか水戸黄門さんの世界観のお城は『② それ以降のお城』だと思います。
余談ですが②のお城の元祖は織田信長が建てた安土城なんだそうで、それ以前は①のお城がスタンダードだったようです。
いつもは写真が多くて見やすいぞ!なんて言われている交野タイムズ・・・今回はすっかり文字ばかりになっちゃってまして申し訳ないです。
前置きが長くなってしまいましたが、
交野市に①の戦国時代のお城があった!
ってご存知でしょうか?
その名も
私部城
(きさべじょう)

(私部城跡は現在、空き地みたいになってます)
私部城(最近では交野城って言ったりするようですが、地元的には私部城っていう名前の方が有名だと思います)は交野市私部6丁目。交野郵便局の裏手あたりにあって今でもその名残を目にすることができます。
Wikipediaによると
室町時代の永禄8年(1565年)頃、河内の実力者安見宗房の一族である安見右近によって築城された。 右近は築城当時、松永久秀に属しており、その際、足利義昭が、津田城に入城した際、主戦力であった右近が、久秀の指示により、交野(片野)に城を築いたとされている。
(斜体=Wikipediaより引用)
とのことで、城主は安見右近さん。
ちなみに右近さんの奥さんは織田信長の有力家臣だった退き佐久間(殿軍を指揮するのが上手だったからだそうです)と言われた佐久間信盛の娘だったいう言われもあり、また交野は大阪ー京都ー奈良の中間地点にもあることからも畿内の重要拠点であった可能性もあるようです。

(京阪バスの交野郵便局前のバス停の後ろも私部城跡)
戦国時代にあった私部城・・・
なんと交野市の新しく市指定史跡になったそうです!
私部城跡が新しく市指定史跡になりました
(画像クリックで交野市役所ホームページへ)
余談ですが、ハラダ@交野タイムズの親戚のおばさんの家が私部城近くにあるので個人的に私部城が新しく交野市の史跡になった!というのはとても興味があります。文献資料的にも考古学的にも歴史的価値ありと評価され、特に安土城以前にはあまりなかった「瓦」を採用している城であったことなどもあって、今回、私部城跡が新しく市指定史跡になったようです。
私部城が新しく市指定史跡になったので、10月6日(土)に私部城跡の見学会も開催されるとのことなんで、「なぬー!私部城が市指定史跡になったとな!」って興味がある!っていう方は見学会にも参加されるのもありかなぁと思います。
私部城の概要(写真と図)
私部城が新しく市指定史跡になったので、10月6日(土)に私部城跡の見学会も開催されるとのことなんで、「なぬー!私部城が市指定史跡になったとな!」って興味がある!っていう方は見学会にも参加されるのもありかなぁと思います。
私部城についてはゴッドファーザー交野さんのホームページ、星のまち交野市に詳しいので合わせてもそちらもぜひぜひ。
(画像クリックで星のまち交野市へ)
文化財の真鍋です。原田織機の件で聞きたいことがあります。一度ご連絡いただけないでしょうか。