星田で義晴地蔵寺で地蔵まつりが開催される

星田9丁目にある義晴地蔵寺


同地が「義晴地蔵寺」と呼ばれる所以や、室町幕府12代将軍である足利義晴とはどうゆう人物であったかは、これまでの交野タイムズの記事でご紹介していますので、詳細はそちらに譲りたいと思います。
▼義晴地蔵寺と呼ばれる所以を紹介する記事
▼足利義晴や、昨年の「よしはる地蔵まつり」について紹介している記事
改めて言うと、足利義晴の墓がなぜ交野にあるのかというのことについては、以前として判然としないことが多くありますが、義晴の時代と思われる石仏を含む多くの石仏が同地から発掘されたということから、交野市教育委員会・交野市文化財事業団編『交野市石造文化財Ⅱ』(2006年)では、義晴地蔵寺一帯を「妙見山南墓地石仏群」と呼び、歴史的石仏群であると考えられています。
現在、義晴地蔵寺は、私部南にある槃若寺さんが管理をし、それぞれの石仏を丁重に弔っておられます。
いずれにしても、義晴地蔵寺と呼ばれる地において、去る7月12日、昨年に続き「よしはる地蔵まつり」が開催されました。


本堂
足利義晴の墓と考えられている石塔
今回のイベントでは、槃若寺の般谷住職による法要の後、妙見星太鼓の皆さんによる和太鼓パフォーマンスが行われ、まつりを盛大に盛り上げてくれました。
また、地蔵まつりということで、参拝者全員にお菓子が配られました。

たくさんのお菓子が用意されていた▼義晴地蔵寺と呼ばれる所以を紹介する記事
▼足利義晴や、昨年の「よしはる地蔵まつり」について紹介している記事
改めて言うと、足利義晴の墓がなぜ交野にあるのかというのことについては、以前として判然としないことが多くありますが、義晴の時代と思われる石仏を含む多くの石仏が同地から発掘されたということから、交野市教育委員会・交野市文化財事業団編『交野市石造文化財Ⅱ』(2006年)では、義晴地蔵寺一帯を「妙見山南墓地石仏群」と呼び、歴史的石仏群であると考えられています。
現在、義晴地蔵寺は、私部南にある槃若寺さんが管理をし、それぞれの石仏を丁重に弔っておられます。
いずれにしても、義晴地蔵寺と呼ばれる地において、去る7月12日、昨年に続き「よしはる地蔵まつり」が開催されました。

参道の際に義晴地蔵寺がある

本堂

また、地蔵まつりということで、参拝者全員にお菓子が配られました。


頂戴したお菓子
とても暑い最中ではありましたが、子どもたちのみならず大人の方々も義晴地蔵寺を訪れ、お参りを済ませたのちお菓子をもらっていました。
以上、「よしはる地蔵まつり」のリポートでした。
(謝辞)
今回の取材をご快諾頂いた関係者の皆様に改めて御礼申し上げます。
記事:博士
博士@交野タイムズのこれまでの記事はこちら
以上、「よしはる地蔵まつり」のリポートでした。
(謝辞)
今回の取材をご快諾頂いた関係者の皆様に改めて御礼申し上げます。
記事:博士
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