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足利義晴を祀る義晴地蔵寺で「義晴地蔵まつり」が開催!

星田9丁目にある「義晴地蔵寺」。

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義晴地蔵寺の入り口

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義晴地蔵寺

同地で、7月14日(日)に「ほしだよしはる地蔵まつり」という地蔵まつりが開催されます。


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ほしだよしはる地蔵まつりのポスター

「義晴地蔵寺」と呼ばれるこの地には、一説では室町幕府12代将軍だった足利義晴(1511~1550)を追悼するために建てられたと言われる石塚があります。

地蔵寺内に設置されている由緒を示す看板に地蔵寺の詳細が掲載されていますが、2016年6月8日に配信された交野タイムズの記事にも要約が掲載されてますので、そちらを引用させていただきます。

(以下要約)
こちらの土地に、200体の地蔵が土に埋もれており、出土した当時の地主さんがこれをひな壇に陳列し「延命地蔵寺」として59年間守られていたところ、その後地主となった方が、雨風にさらされたお地蔵さまたちをより手厚く奉ることができたらと思い、昭和58年に屋根を設えられたそうです。


そして、このお地蔵さまのことを調査した結果、室町時代の足利義晴公のお墓があることが判明しました。

また、義晴公の奥方が『義晴と、戦で亡くなったたくさんの方の菩提を敵味方分け隔てなくねんごろに弔う』ために厚く信仰されたお地蔵さまであったことが判明し、「義晴地蔵寺」とされたそうです。
(2016年6月8日「交野タイムズ」より)

同記事にもありますが、「交野と足利義晴にどういったつながりがあるのか」ということについてはよくわかっておりません。

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「足利義晴の墓」という立札の横にある石塔

木下昌規著『足利義晴と畿内動乱ー分裂した将軍家』(2020年、戎光祥出版)においても、交野と義晴の関係はわからないが、恐らく義晴を追悼するために建てられた石塚ではないか、といった旨のことが書かれています。

いずれにしても、義晴地蔵寺で祀られている地蔵像については、中世期に作られた石仏とされ、歴史的には貴重な石仏群と言えるでしょう。

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中世期に作られたとされる地蔵群

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地蔵寺を守護する(?)猫

ところで、足利義晴という人物について、あまり知っている方は多くはないかと思いますが、簡約すると、室町幕府12代将軍として約25年に渡って将軍職を務め、その子息には、13代将軍の義輝、そして室町幕府最後の将軍である15代義昭の父親でもありました。

足利義晴
唯一現存する足利義晴像
ブレイズマン 05:29, 17 April 2008 (UTC), パブリック・ドメイン, リンクによる)

様々な謎を秘めた義晴地蔵寺ですが、先述のように、7月14日(日)に「ほしだよしはる地蔵まつり」が開催されます。

私部南にある槃若寺さんが中心となって、足利義晴や平家の落ち武者が祀られているという地蔵仏を追悼する一方、義晴地蔵寺をより多くの方々に知ってもらいたいという思いから行われるイベントです。

当日は、子どもたちに無料でお菓子を配布したりするそうです(数に限りがあります)。

「ほしだよしはる地蔵まつり」は、7月14日(日)午前10時から午後16時まで義晴地蔵寺で開催されます。

尚、周辺に駐車場はございませんので、クルマでのお越しはご遠慮ください。

詳しいことは、NPO法人ハンドインハンド(072-810-6600)にお問い合わせください。




記事:博士
博士@交野タイムズのこれまでの記事はこちら


ライター:katano_times katano_times


 コメント一覧 (1)

    • 1. とおりすがり
    • 2024年07月14日 07:33
    • 何度かお伺いしてお参りしたことがあります。
      星田妙見宮へお参りして、東側へ抜け、道路を降りてくると、すぐ見えますが、そのときに合わせて。
      妙見宮が賑わっていると、寂しそうに感じますね。
      槃若寺さんが行かれるとは、またどのようなご縁なのでしょう。

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