【カタノテツ】交野の鉄道ものがたり:file.49 片町線を走ったC11という機関車〈その10〉
交野を走る鉄道のことを、新旧おりまぜながら、『明円勝(Masaru Myoen)さん』と、時々『駐在員さん』の写真等のご協力により紹介しております。
今回は『明円勝(Masaru Myoen)さん』によるカタノテツです。
カタノテツfile.49
片町線を走ったC11という機関車〈その10〉
お召列車牽引したC11
※この写真は友人の御親戚で津山機関区乗務員の方から頂いたプリントのスキャンデータです。
2両のC11は津山機関区所属です。
通常C11等が装備する単式空気圧縮機の排気は、煙突付近まで配管で導き上方向に排出されますが、この写真ではC1180には、テンダー式機関車の丸形式新型給水温め器排気の様に、右シリンダー前から下方向に排気されており、2両共同様の構造と見て取れます。
後日津山機関区でC1186と出会った時は、煙突後ろに単式空気圧縮機の排気消音器が確認出来たので、あの右シリンダー前からの排気はお召機特有の装備の効果だったのでしょうか。
平成29年津山市南小学校から津山駅北口に移設され保存継続されているC1180にも、同様の排気消音器が確認出来ます。
1969年12月29日
津山機関区
C1186(津)
C11は戦後数回お召列車を牽引することがありました。
因みに蒸気機関車による行幸啓お召し列車牽引最後の日は、今から約51年前の宮崎県全国植樹祭昭和48年4月12日、運転区間は青島-宮崎C11200(志)、宮崎-延岡C57117(宮)でした。
因みに蒸気機関車による行幸啓お召し列車牽引最後の日は、今から約51年前の宮崎県全国植樹祭昭和48年4月12日、運転区間は青島-宮崎C11200(志)、宮崎-延岡C57117(宮)でした。
ではC11のお召列車牽引機関車の一部を紹介します。
昭和37年10月22日
C1180(津)+ C1186(津)
両陛下岡山県国体(第17回)行幸啓お召し列車牽引
法界院-津山-岡山-津山
1962年10月22日
C1180(津)+ C1186(津)お召
撮影場所不明
1962年10月22日
C1180(津)+ C1186(津)お召
撮影場所不明
※この写真は友人の御親戚で津山機関区乗務員の方から頂いたプリントのスキャンデータです。
2両のC11は津山機関区所属です。
通常C11等が装備する単式空気圧縮機の排気は、煙突付近まで配管で導き上方向に排出されますが、この写真ではC1180には、テンダー式機関車の丸形式新型給水温め器排気の様に、右シリンダー前から下方向に排気されており、2両共同様の構造と見て取れます。
後日津山機関区でC1186と出会った時は、煙突後ろに単式空気圧縮機の排気消音器が確認出来たので、あの右シリンダー前からの排気はお召機特有の装備の効果だったのでしょうか。
平成29年津山市南小学校から津山駅北口に移設され保存継続されているC1180にも、同様の排気消音器が確認出来ます。
1969年12月29日
津山機関区
C1186(津)
シリンダー蓋カバーが輝いています。
表面にハードクロームメッキが実施されたか、材質をSUSに変更されたのかと思います。
この装飾は、後にD51最後のお召列車牽引機となったD51838(新)にも確認できます。
表面にハードクロームメッキが実施されたか、材質をSUSに変更されたのかと思います。
この装飾は、後にD51最後のお召列車牽引機となったD51838(新)にも確認できます。
その他前照灯がLP42からLP405に交換されています。
C11200(志)+C5692(宮)は重連で昭和48年4月10日
両陛下宮崎県全国植樹祭(第24回)行幸啓お召し列車を牽引しました。
C11とC56の重連という異形式重連牽引は、極めて珍しいと思われます。
昭和47年10月20日から25日にかけて3本運転されたお召列車では、C5691+C5692の重連が指宿枕崎線と日豊本線で牽引しました。
昭和47年10月20日から25日にかけて3本運転されたお召列車では、C5691+C5692の重連が指宿枕崎線と日豊本線で牽引しました。
C11200は菊の御門を掲出する為に受け金具を前端梁軸箱上に設置された物が今も残っています、現在大井川鐡道で活躍するC11190と復元中のC56135のも同様の金具が存在しました。
C11190は、三角線でのお召列車を昭和41年に牽引した後昭和49年に、熊本機関区で廃車となりましたが、解体保留車として豊肥線瀬田駅構内で留置され、昭和53年頃八代市の個人に引き取られ、所有する敷地内で保存されました。
平成13年大井川鐡道へ寄贈。
復活プロジェクトが発足。
平成15年見事に復活し、お召装飾で走り始めました。
写真は一時的に白線やSUSや真鍮装飾を隠して、素朴な容姿を再現させた時の様子です。
平成13年大井川鐡道へ寄贈。
復活プロジェクトが発足。
平成15年見事に復活し、お召装飾で走り始めました。
写真は一時的に白線やSUSや真鍮装飾を隠して、素朴な容姿を再現させた時の様子です。
この撮影の翌年、昭和48年4月12日、日本国鉄最終蒸機お召列車牽引機関車に本機が選ばれました。
九州らしさを醸しだすK-7型門デフ装備のC57は最適だったと思います。
つづく