梅の種捨ててできた交野の『梅の木伝説』っていうのがある!〜京阪バスのバス停名にもなってる〜
星の里いわふね〜星のブランコ〜磐船神社間の山の中の道沿いにいくつかバス停があるんですが、その1つにこーいう名前のバス停があります。
梅の木
はて?
見えるのは時刻表
でも、時刻表見えない・・・
なんと!
平日はまさかの運行ゼロ・・・
土曜日とか1日2本とかの時刻表になってました。
ここまで時間がピンポイントすぎると「停まってくれてありがとうございます!」となんか感謝の気持ちが出てきちゃいそうです。
平日には、絶対にバスは来ないみたい
とまぁ、すっからかんな時刻表はともかく、気になるのが「梅の木」っていうバス停の名前です。
きっと何か意味があったりするのでしょう!
っと思っているとバス停の前の藪の中に何やらありました。
!!!
伝説あった!
古代神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐にお立ちになる前、祖父迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ)に別れを告げるため、天(京田辺市)においでになり、そして暇乞いをした後、磐船谷に沿って大和に行かれる途中、ちょうど磐船明神の前に来られたとき、その路傍で兵を止めて休息して食事を取られた。
食後皇后は梅干しの種を捨てられ、その種が芽を出して立派に成長した。
その梅の木にちなんだバス停がここ「梅の木」のようです。
簡単に記載されている説明ですが、かなり興味深いことがいろいろ書かれています。
・皇后さまが交野にやってきた
・そしてそれは三韓征伐っていう歴史的ストーリーが背景にある
・おじいさんの迦邇米雷王は京田辺にいた
・皇后さまは磐船神社付近で休憩した。
・さらに磐船神社付近でご飯食べてた
・そしてさらに食後に梅を食べて、その種を捨てた
もうずっと遥か昔の出来事ですがとてもリアルにその当時の情景が浮かんできます。
ただ、捨てた梅の種が育ったっていうのを誰がエビデンスをとったのか?とかちょっと気になる点もありますが、そういうことのようです。
ちなみに神功皇后の息子さんが応神天皇でその後、仁徳天皇や継体天皇などに続きます。
磐船神社は天孫降臨の地とも言われている伝説の所にもなっていて、神功皇后が磐船神社付近で休息されたのも単に大和へ続く道がここだったという意外にも何か縁があってのことだったのかもしれません。
そういえば、八幡の石清水八幡宮の放生会行列には梅の枝を持って参列していて、その梅の木は実際にこの梅の木バス停の近くに御神木として存在するので、それがもしかすると皇后さまが捨てて育った梅の木の系統なのかもしれません(ハッキリとしたことは分かりません。あくまでも想像です)。
交野市は皇室領だったこともあって、今でもその名残として私部(きさべ)、私市(きさいち)などの地名が残っています。
大阪府のホームページの紹介によると・・・
「日本書紀」によると、天皇の后(キサキ)の用事をする役所を私府(キサフ)と言い、また后のための農耕をした人などを私部(キサベ)と称していた。
推古天皇時代から皇室領であった交野の村々は皇后の部民(ベノタミ)であり、私市(キサイチ)という変わった地名の由来は、その中心となった村であることからも「私部内」(キサベノウチ)から訛って私市となったものである。
-大阪府ホームページ/私市のまちなみ(交野市)より引用
などの記載もあり、皇室とのつながりと天孫降臨の地がある交野市に神功皇后がやってきたっていうのも事実なのかもしれません。
1枚の説明書きからストーンと落ちてくるストーリー
交野は遥か古から脈々と歴史が続き紡がれているまちなので、今回ご紹介させて頂いた「梅の木」の物語のようなものがたくさんあります。
めっちゃ余談ですが、天皇のお話が出たので前にご紹介させて頂いた交野市をめぐるちょっと不思議なお話をご紹介させていただきます(話が長くなりそうなので、詳細は下記リンクへ)。
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五芒星と交野にまつわるミステリーです。
(画像クリックで記事へ)