交野さんぽ。×交野タイムズ コラボ企画【かたの街道さんぽ。】山根街道の巻 その2 〜トヨタに匹敵した工場跡〜
ローカルメディア『交野タイムズ』のコラボ企画。
「かたの街道さんぽ。」!
交野の街道をてくてく歩き、そして交野の歴史っぽいことにもふれてみよう〜!
前回から始まった新シリーズ
山根街道 編!
交野タイムズ記事では、ちょこっと振り返ったり、記事でしかお伝えできないことや、見どころポイントなどを紹介したいと思います。
今回は、 前回の続き。
逢合橋からスタートで青年の家まで歩きました。
山根街道をてくてく(これは脇道かな)
地図ではこんな感じ。
交野の歴史ポイントを(カンペを見ながら棒読みですが)わかりやすく解説!?
※解説文はさんぽさんサイトより引用させてもらっています。
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砂子(すたこ)坂
かつて「すだこざか」とも呼ばれていました。
名前の由来は諸説ありますが、そのうちの1つとして、
高台になった中洲を開拓して田んぼを作ったことから「洲田(すだ)」と呼ばれ、
そこに接尾語の「こ」がつき、
さらに高台の洲田(すだ)から平地までが「坂」になっていた、という説があります。
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原田織機(しょっき)工場跡
青年の家の敷地には、かつて「原田織機(しょっき)の工場」がありました。
明治14年に創業し、原田式自動織機を発明し、かつて「西の原田、東の豊田」と呼ばれるほどの、日本を代表する織機(しょっき)メーカーでした。
交野で最初にできた工場だったそうです。
交野で最初にできた工場だったそうです。
ちなみに、現在「泉州タオル」で有名な泉州地区は、かつて原田式自動織機(しょっき)を多く採用することで栄えました。
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記事:お菊
取材先:山根街道
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