【カタノテツ】交野の鉄道ものがたり:file.42 交野線と縁が無かった京阪2000系〈その1〉
交野を走る鉄道のことを、新旧おりまぜながら、『明円勝(Masaru Myoen)さん』と、時々『駐在員さん』の写真等のご協力により紹介しております。
今回は『明円勝(Masaru Myoen)さん』によるカタノテツです。
カタノテツfile.42
交野線と縁が無かった京阪2000系〈その1〉
2000系は京阪本線と宇治線で活躍しましたが、交野線へは入線せず、代替車の2600系に姿を変えた後に入線を果たしました。
今回は交野線と縁が無かった2000系時代を取り上げます。
今回は交野線と縁が無かった2000系時代を取り上げます。
1970年
京阪本線
天野川橋梁
2026・2012
京阪本線
天野川橋梁
2026・2012
昭和34年2000系は、平坦線での回生制動やHSCブレーキ、そして高加減速を備えた高性能通勤車として颯爽とデビューしました。
呼び名はスーパーカー。
その車体は玉子型断面で、当時国鉄の特急こだま型151系と類似型でした。
おでこには大きな電球式前照灯が左右に二つ。
このデザインは2200系に引き継がれ、2400系ではシールドビームとなり2600系では一部の車両が左右対称顔となりました。
呼び名はスーパーカー。
その車体は玉子型断面で、当時国鉄の特急こだま型151系と類似型でした。
おでこには大きな電球式前照灯が左右に二つ。
このデザインは2200系に引き継がれ、2400系ではシールドビームとなり2600系では一部の車両が左右対称顔となりました。
運用面では急行等は2200系2400系に任せてもっぱら区間急行以下の小刻みに停車する運用が得意としていました、それでも早朝の特急として鳩マークを付けて高速で走ったり急行や準急運用もこなしていました。
筆者は明るい車内の2000系に乗れると、平行カルダンの心地よい加速感がたまらなくて何時までも乗っていたかったものでした。
1974年1月1日
樟葉-牧野
2028
樟葉-牧野
2028
時々見かける2000系の急行は好みでした。
1973年9月9日
野江
2038 3001
A線は3001が珍しく先頭に顔を出しています。
ブレーキは1900系に合わせた減圧式でした。
ブレーキは1900系に合わせた減圧式でした。
この頃の野江駅は屋根の設置長さが短くて、雨天時には傘が役立ちました。
1973年5月13日
京阪本線天野川橋梁
2001
京阪本線天野川橋梁
2001
ドア間の長いロングシートが印象的でした。
1969年8月
八幡町-淀
2019
この日の急行運用には600系1300系や1700系1800系2200系が入っていましたが、普通運用は2000系が目立ちました。
この頃の駅名八幡町は昭和52年八幡市となり、令和1年石清水八幡宮と改称されています。
以前のホームは2面2線島式ホームで1番・4番の待避線が存在しましたが平成21年には4番が平成28年に1番線がその役目を淀駅に譲り姿を消しました。
現在は2番・3番のみ存在し1番・2番に改称されずそのまま残っています。
現在は2番・3番のみ存在し1番・2番に改称されずそのまま残っています。
1972年2月12日
桃山南口-六地蔵
2000系
2両目は2200系Tcから運転台撤去編入された2150型です。
桃山南口辺りは交野線沿線と同様に水田が拡がり、野池も点在していました。
以前宇治線の大半の列車は、上り下り共に中書島でスイッチバックをし、三条と宇治へ向かいました。
つづく