東高野街道沿い「大谷地蔵堂喚鐘(かんしょう)」。除夜の鐘みたいに鳴らされることはないけど、とっても貴重!〜『かたの街道さんぽ』の歴史ポイント〜
『交野さんぽ。』
と
交野系ローカルメディア
『交野タイムズ』
のコラボ企画。
みなさんもう見られましたか?
こちらの記事からとべますので、まだの方はどうぞ〜
↑山根街道を歩く編がスタートしました!
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こちらの記事からとべますので、まだの方はどうぞ〜
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今回は、東高野街道の第6回目配信分より、歴史ポイントをふりかえってみましょう。
動画スタート後3分くらいのところ。
【大谷地蔵堂喚鐘(かんしょう)】
東高野街道沿いの「大谷地蔵堂」のところ。
地蔵堂の横に鐘(つりがね)があります。
地図でいいますとここ。
「かたの街道さんぽ」ロケ中も、いきなり登場した感じでびっくりでした。
おお!こんなところに!
大谷地蔵堂の軒下といいますか、南側につるされていて、写真もアングルが難しかったので、画(by お菊@美大卒 現役グラフィックデザイナー)にしてみますと・・・・
こんな感じ。
・・・・・
・・・・・
って、画もわかりにくいやないかーい!
と、お菊の画力の問題はさておきまして、年末は除夜の鐘はつきましたか?
こちらの鐘は、除夜の鐘のようについたりはできませんが、鐘には「弘化(こうか)3年」とあり、この年式の鐘(つりがね)は数少なく貴重なものなのだそうです。
地蔵堂の横に鐘(つりがね)があります。
地図でいいますとここ。
「かたの街道さんぽ」ロケ中も、いきなり登場した感じでびっくりでした。
こちらからだと見えない
おお!こんなところに!
大谷地蔵堂の軒下といいますか、南側につるされていて、写真もアングルが難しかったので、画(by お菊@美大卒 現役グラフィックデザイナー)にしてみますと・・・・
こんな感じ。
・・・・・
・・・・・
って、画もわかりにくいやないかーい!
と、お菊の画力の問題はさておきまして、年末は除夜の鐘はつきましたか?
こちらの鐘は、除夜の鐘のようについたりはできませんが、鐘には「弘化(こうか)3年」とあり、この年式の鐘(つりがね)は数少なく貴重なものなのだそうです。
大谷地蔵堂喚鐘(かんしょう)
大谷町16番に所在する大谷地蔵堂の南側、妻の上部に吊るされている。
総高57.8cmで4区の池ノ間、4本の縦帯の前面にわたって、ぎっしり人名が刻まれている。これは本鐘が作られた弘化3年(1849年)当時の、大谷村の主要な家の名簿であろうと思われる。
縦帯1には年紀の「弘化3年」と「河州交野郡大谷村地蔵堂什物」と刻まれている。
(星のまちかたのより)
大谷町16番に所在する大谷地蔵堂の南側、妻の上部に吊るされている。
総高57.8cmで4区の池ノ間、4本の縦帯の前面にわたって、ぎっしり人名が刻まれている。これは本鐘が作られた弘化3年(1849年)当時の、大谷村の主要な家の名簿であろうと思われる。
縦帯1には年紀の「弘化3年」と「河州交野郡大谷村地蔵堂什物」と刻まれている。
(星のまちかたのより)
鐘にお名前がびっしり刻まれているとは!
鐘でありながら「名簿」としての機能も!?
また、こうやっておよそ175年たってもそのまま残って、さりげなく奥ゆかしく釣り下がっている「大谷地蔵堂の鐘」。
地元にはこのようにお宝のような歴史の遺産がたくさん残ってるのですね。
2024年も微力ながら、ご紹介できたらと思います。
鐘でありながら「名簿」としての機能も!?
また、こうやっておよそ175年たってもそのまま残って、さりげなく奥ゆかしく釣り下がっている「大谷地蔵堂の鐘」。
地元にはこのようにお宝のような歴史の遺産がたくさん残ってるのですね。
2024年も微力ながら、ご紹介できたらと思います。
記事:お菊
協力:交野さんぽ。
取材先:東高野街道
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