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「四馬塚」ってなんだ?開発が進んでいる星田北のあたりに残るその地名の謎とは?〜『かたの街道さんぽ』の歴史ポイント〜

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『交野タイムズ』
のコラボ企画。

みなさんもう見られましたか?
こちらの記事からとべますので、まだの方はどうぞ〜



東高野街道を散策しています。

kaiddo_sanpo01
今回は、第5回目配信分より、歴史ポイントをふりかえってみましょう。

【四馬塚】

「しばづか」と読みます。
現在、開発のすすむ星田のあたり。

地図ですとこのあたりでしょうか。

Scannable の文書 (2023-12-07 8_58_14)のコピー



お菊作ゆる地図

スクリーンショット 2023-12-07 8.32.35

現在開発が進んでいるこの周辺は、昔は四馬塚(しばづか)という地名でした。
「しば」は「四」つの「馬」と書きますが、江戸時代は芝生の「芝」だったそうです

スクリーンショット 2023-12-07 8.32.39

芝→四馬 と変遷していったようです。

開拓が始まる前の平成30年に、このあたりを発掘調査したところ、東高野街道沿いに「側溝そっこう)」と呼ばれる溝が見つかりました。
この溝は水田の区画整備灌漑(かんがい)用に使われていて、鎌倉時代から江戸時代に何度も「掘り直し」が行われていたことがわかりました。

(さんぽさんの資料(動画中のお菊のカンペ)より)
※さんぽさんの資料はこちらのページを参照されてます。

星田北の土地開発にともなって、周辺の遺跡も同時に調査されていたことがうかがえます。
また、「星のまち交野」の「星田駅北遺跡・平池遺跡・四馬塚遺跡・東高野街道の発掘調査について」の勉強会の報告ページでは、動画でも紹介させてもらった「一里塚」についても詳細が記載されていて、興味深いものとなっております。

この記事ではとことん深掘りはできませんでしたが、土の下には遺跡というかたちで、歴史のロマンが眠っていることを少しお伝えできたらと。






記事:お菊
協力:交野さんぽ。
取材先:東高野街道
お菊過去記事はこちら

ライター:katano_times katano_times


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