「墓之前橋の石仏」ってなんだ?川と地蔵の意外な因果とは?〜『かたの街道さんぽ』の歴史ポイント〜
『交野さんぽ。』
と
交野系ローカルメディア
『交野タイムズ』
のコラボ企画。
みなさんもう見られましたか?
こちらの記事からとべますので、まだの方はどうぞ〜
みなさんもう見られましたか?
こちらの記事からとべますので、まだの方はどうぞ〜
東高野街道を散策しています。
「動画配信、見たよ〜!」とか
「たのしそう〜!」とか
「しゃべるさんぽさんや〜!」とか
「お菊さんのお遍路笠がかわいい!」とか
「歩いてロケしてるとこ見かけた!」とか
「交野の歴史のことが楽しく知れて嬉しい!」とか
「わたしも散歩したくなった!」とか
様々な反響をいただいております。
ありがとうございます。
今回は、第4回目配信分より、歴史ポイントをふりかえってみましょう。
動画ではちょうどこのあたり!↓
(4分すぎくらいのへんから)
動画ではちょうどこのあたり!↓
(4分すぎくらいのへんから)
【墓之前橋の石仏】
墓之前橋は、明治37年に掛けられた橋です。
場所は、地図ですとこのあたり。
これだ!
ちょっと画像ではわかりにくいですが、石のところに文字が刻まれていました。
横に7体のお地蔵さんがあります。
いちばん左は「迎え地蔵」、2番めは阿弥陀様。
↑
イラスト版・墓之前橋の石仏
3番め以降は、昭和50年の改修工事で川の底からあげられたものです。
川の底から発見されてよかったよかった。
お地蔵さんを大切にする街って、なんかいいですよね。
記事:お菊
協力:交野さんぽ。
取材先:東高野街道
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