星田にある『全現堂池』のほとりに「浅間堂」。本堂と祠に大日如来が祀られている!
その『全現堂池』のほとりに、祠(ほこら)があります。
こちらの祠に・・・
近づいてみますと・・・
こちらの祠には「金剛界の本尊の大日如来(石造)」が祀られています。
(参考:星のまち交野「星田・浅間堂のお参り」のレポート)
その横には・・・
浅間堂(せんげんどう)の本堂があります。
こちらには「胎蔵界の本尊の大日如来(木造)」が祀られています。
取材時は、本堂も祠も閉まっていましたが、前述の「星のまち交野「星田・浅間堂のお参り」のレポート」内では本堂や祠の中の様子や、お参りの様子が見られまので、ご参照ください。
また、そのいきさつは…
江戸時代の初め、延宝5年(1677年)
星田村の奥田浄安さんが、
京都の仏師に「大日如来」を造立してもらう。
京都の仏師に「大日如来」を造立してもらう。
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富士山の山頂まで背負って登る。
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富士浅間社で開眼供養を行ってもらう。
↓
星田の自宅に祀っていた。
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昭和50年代から全現池のほとりのお堂に安置。
ということのようです。
「大日如来」は、
富士山→星田
と、かつて移動されていたのですね。
また、そのすぐ近くのところには、役行者(えんのぎょうじゃ)像があります。
こちらは大日如来
この「全現堂池」という名称も「浅間堂(せんげんどう)池」が年月を経て言い方が変化していったのではないかと言われています。
せんげんどう
せんげんどう
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ぜんげんどう
ぜんげんどう
確かに、移り変わっていくのもわかります。
語感が似ています。
毎年、8月8日は縁日なのだそうです。
交野には、このようにいろんなところに歴史ポイントがあります。
文献が残っていたり、言い伝えなどで、現代に生きるわたしたちも知ることができますね!
※今回も「星のまち交野」さんの資料をたくさん参考にさせてもらいました。
交野タイムズでも、その歴史ポイントを引き続き調査していきたいと思います。
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