【カタノテツ】交野の鉄道ものがたり:file.34 片町線EXPO'70の頃〈その2〉
交野を走る鉄道のことを、新旧おりまぜながら、『明円勝(Masaru Myoen)さん』と、時々『駐在員さん』の写真等のご協力により紹介しております。
今回は『明円勝(Masaru Myoen)さん』によるカタノテツです。
カタノテツfile.34
片町線EXPO'70の頃〈その2〉
※〈その1〉はこちらです↓
1970年7月
津田駅
C11279(奈)
993レ
EXPO'70が開催されていた頃の片町線では、蒸気機関車が気を吐いて走っていました。
この下り貨物列車は津田駅を発車して、駅構内のこの辺りで枚方市から交野町に入ります。
機関車の次位に連結されている車掌車は、ヨ5000形式で全国の貨物列車で数多く見られました。
この列車には機関士さん、機関助士さんそして車掌車の車掌さんが乗務して運行されていました。
夏場、乗務員の方は本当に暑かった事だろうと思います。
特に蒸気機関車は1500度のストーブを抱えている様な物で、運転室の中はサウナの様な感じで扇風機すら装備されておらず、今では考えられない仕事環境だったと思います。
吹田市千里丘陵で開催されていたEXPO'70会場へのアクセスを担った鉄道車両は、阪急・地下鉄共に冷房化されていない時代でした。
一方で国鉄が万博輸送の為に投入した12系客車は、全車冷房付きで大活躍しました。
1971年5月23日
山崎-高槻
クハ79
EXPO’70の翌年東海道本線には、まだまだ旧型国電が気を吐いていました。
この京阪神緩行線車両の高性能化は昭和51年頃でしたが、片町線だけが取り残されていた訳ではなかったのです。
1971年4月
津田-河内磐船
クハ79
この場所は第二京阪道路の真下辺りだろうと思われます。
このクハ79は何とも古武士の様な顔立ちで、今なら国電ファンが涙を流して喜ぶだろう貴重な車両も数多く走っていました。
車内は木製でしたが、決して牛が引いていたのでは無く電車でした。
今でも時折「牛の話」は聞くことがありますね。
シャープエッジが鮮やかな良いデザインでした。