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【カタノテツ】交野の鉄道ものがたり:file.30 片町線EXPO'70の頃〈その1〉

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交野を走る鉄道のことを、新旧おりまぜながら、『明円勝(Masaru Myoen)さん』と、時々『駐在員さん』の写真等のご協力により紹介しております。

今回は『明円勝(Masaru Myoen)さん』によるカタノテツです。


カタノテツfile.30

片町線EXPO'70の頃〈その1〉



1970年6月  
河内磐船-津田  
一般道枚方大和郡山瀬の陸橋から 
クモハ73

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戦後復興期から高度経済成長期、都市部電車区間でサラリーマンや学生の通勤通学の足を支えたのは、旧型国電達でした。
大阪周辺の国電区間でも吊掛けモーターを唸らせながら、毎日走り続けていました。

昭和30年代半ば頃から、新性能特急電車「ビジネス特急こだま号」がデビューして一世を風靡しましたが、並行して通勤電車にも新性能電車(後の101系)が登場し、期待通りの活躍をしました。
103系等は世界で一番人間を運べる電車と、はやされたものです。

そして旧型電車は徐々に第一線からローカルに活躍の場を移しました。
当時の片町線は旧型電車達の最終活躍路線として有名になっていました。

この写真を撮影した頃、片町線の四条畷-長尾間は、まだ単線で片町-長尾間の電化区間には金属バネ・吊掛け駆動・木製車内の旧型車両が走っていました。
この先頭車は旧型車ながら全金属製で、車内も蛍光灯照明やデコラ張りで、多少なりとも近代車両風でした。



1971年8月19日  
津田-河内磐船 
C11252(奈) 
993レ

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モハ73の写真奥の踏切(現在の第三倉治踏切)から、陸橋を背景に貨物列車を撮影しました。

EXPO’70の翌年、片町線の貨物列車はまだC11型蒸気機関車が先頭に立って頑張っていました。

この下り993貨物列車をよく見ると、車掌車が2両連結されているだけで、実質荷は無く車掌さん専用列車の様でした。

つづく
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0_お菊
お菊のひとこと片町線のシリーズが始まりました!
今回もなかなか見ることのできないレア写真の登場。

お菊@交野タイムズは「EXPO’70の頃の片町線」は見たことがないのですが、高校の3年間は片町線で通学していました。

入学してまもない頃、友達としゃべりながら乗ってたら「放出(難読地名・はなてん)」まで行ってしまったことがあります。
「反対方向に乗ってたんや!」「ここはどこ?」
ってなったことが。
15歳?16歳?の片町線慣れしてない女子ふたり、なかなかのびっくり事件でした。

71年頃はC11型蒸気機関車がまだまだ走っていたのですね!

しぶい!片町線!

高校生の頃は、遅刻したりしたら「片町線は牛が引っ張ってるからしゃーないな」などと言われたりしてました。
(※牛は引っ張ってません)

EXPO’70の頃の片町線シリーズ、〈その2〉につづきます。
お楽しみに〜



『カタノテツ』バックナンバーはこちらから↓




  明円勝さん(Myoen Masaru)プロフィール


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1956.1.25生まれ
大阪府守口市出身
大阪工業高等専門学校 機械工学科卒
音楽好き、淡水魚好き、鉄道好き


記事:お菊
撮影:明円勝さん
お菊過去記事はこちら

ライター:katano_times katano_times


 コメント一覧 (2)

    • 3. 明円 勝
    • 2023年09月10日 12:50
    • 藤坂駅がまだなかった頃C11型蒸気機関車が走っていました。
      定期貨物列車の3重連は片町線では無かったですが伯備線などで大人気でした。
    • 2. のぶさん
    • 2023年06月06日 07:45
    • 4 子どものころにオジキに連れられて、今の藤阪あたりにSLを見に行ったことを思い出しました。懐かしいです。貨車を引いて3重連なんかも走ってきてましたね。興奮してみていたのを思い出した。

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