交野2中のハレルヤプロジェクトが盛大に開催!卒業生が本気で練習して歌う
同プロジェクトは、交野市立第二中学校創立50周年記念事業のひとつとして行われたものです。
▼交野2中の50周年記念事業に関する記事はこちら
コロナ禍もあり、50周年記念事業は年度をまたぐ形で行われましたが、ついにそれが2023年3月13日(月)、交野市立第二中学校の体育館で行われたハレルヤプロジェクトでもってフィナーレを飾ることとなりました。
ハレルヤプロジェクトのポスター
二中のハレルヤに関する詳細は、前の記事をご覧いただけたら幸いですが、簡単に説明すると、二中で毎年行われているビッグイベントのひとつ合唱祭で、かつて3年生が合唱祭の終わり「ハレルヤ」(ヘンデル作曲)を歌っていました。
(博士@交野タイムズも2中出身で、ハレルヤを歌った世代ですが、実際は歌う年と歌わなかった年があったようです)
昨年、枚方市の総合文化芸術センターにおいて久しぶりに合唱祭が復活したものの、コロナ禍の影響でフルセットでの合唱祭は行われず、二中伝統の「ハレルヤ」も歌われることはありませんでした。
「生徒たちに伝えたい感動が2中にはある!!」という言葉の下、50周年記念事業をリードしてきたいわゆる「ハレルヤ世代」を中心に、記念事業のフィナーレとして二中OB・OGが集まって今の生徒たちの前でハレルヤを歌う「ハレルヤプロジェクト」が行わることとなりました。
ということで、2中卒業生の博士@交野タイムズも二中OBのひとりとしてプロジェクトに「自発的に?」参加することとなりました。
練習は参加者が集まりやすい日時ということで土曜日の夜に行われました。
練習初日の1月28日、まだ底冷えする二中の体育館に年代を超えてOB・OGの方々が集まりました。
とりあえず、ソプラノ、アルト、テノールの各パートごとに分かれ練習を開始しました。
がっつり2時間練習して初日は終了となりました。
オリジナルのハレルヤはキーが高いため、二中で歌われたものは音楽の先生を中心に編曲がなされたものだったそうです。
そのため、その時の学年の状況に合わせ編曲がなされているため、Youtubeでみっちり予行練習をした筆者も音階が変わってしまい頭がパニック状態(英語の歌詞は全く問題なし。「もうええねん」by 50周年記念事業実行委員長兼同級生)。
そして、式典当日に演奏をしてくださる「交野シティ・フィルハーモニック」の皆様方らとの音合わせを星の里いわふねで数回行いました。
交野シティ・フィルハーモニックのコンダクターから「声が完全に演奏に負けてる」とか「歌に抑揚がない」等とおしかりを受け、二中の体育館へ戻って再びみっちりと練習するということが数回続きました。
とはいうものの、1回目より2回目、2回目より3回目と練習を重ねるうちに徐々にではありますが歌えるようになっていき(特にテノール)、いよいよ本番を迎えることとなりました。
皆さんお気づきかもしれませんが、バスパートの男性陣については、ある1人が最初はテノールだったものの声域が低いのでバスを担当することとなりました。
「じゃあ、バスはたった一人なの?」とお思いになられたかもしれません。
実は、バスにはチョー強力な助っ人が参加することになっていたのです。
二中の卒業生であり、東京芸術大学をご卒業後、日本のみならず世界でもご活躍されているプロのバリトン歌手星田 裕治さんが、「ハレルヤプロジェクト」のために一肌脱いでくれたのです。
(博士@交野タイムズも2中出身で、ハレルヤを歌った世代ですが、実際は歌う年と歌わなかった年があったようです)
昨年、枚方市の総合文化芸術センターにおいて久しぶりに合唱祭が復活したものの、コロナ禍の影響でフルセットでの合唱祭は行われず、二中伝統の「ハレルヤ」も歌われることはありませんでした。
「生徒たちに伝えたい感動が2中にはある!!」という言葉の下、50周年記念事業をリードしてきたいわゆる「ハレルヤ世代」を中心に、記念事業のフィナーレとして二中OB・OGが集まって今の生徒たちの前でハレルヤを歌う「ハレルヤプロジェクト」が行わることとなりました。
ということで、2中卒業生の博士@交野タイムズも二中OBのひとりとしてプロジェクトに「自発的に?」参加することとなりました。
練習は参加者が集まりやすい日時ということで土曜日の夜に行われました。
練習初日の1月28日、まだ底冷えする二中の体育館に年代を超えてOB・OGの方々が集まりました。
練習初日の様子
とりあえず、ソプラノ、アルト、テノールの各パートごとに分かれ練習を開始しました。
ソプラノとアルトは順調に練習をする
ソプラノとアルトを担当する女性陣は初日から順調に練習を開始しましたが、参加人数も少なかった男性テノール陣は、譜面が読めいない(歌詞も英語)ということもあり曲を理解するのに四苦八苦。
かく言う博士@交野タイムズも子どものころに多少音楽を習っていて譜面が読めたのですが、時が過ぎ完全に忘れてしまったので、ピアノの先生の伴奏だけを頼りに歌いました(英語の歌詞は全く問題なし)。
かく言う博士@交野タイムズも子どものころに多少音楽を習っていて譜面が読めたのですが、時が過ぎ完全に忘れてしまったので、ピアノの先生の伴奏だけを頼りに歌いました(英語の歌詞は全く問題なし)。
練習する男性テノール陣
がっつり2時間練習して初日は終了となりました。
2回目の練習の様子
2回目の練習から参加する方も含め、再び曲と歌詞の確認をする男性陣
オリジナルのハレルヤはキーが高いため、二中で歌われたものは音楽の先生を中心に編曲がなされたものだったそうです。
そのため、その時の学年の状況に合わせ編曲がなされているため、Youtubeでみっちり予行練習をした筆者も音階が変わってしまい頭がパニック状態(英語の歌詞は全く問題なし。「もうええねん」by 50周年記念事業実行委員長兼同級生)。
そして、式典当日に演奏をしてくださる「交野シティ・フィルハーモニック」の皆様方らとの音合わせを星の里いわふねで数回行いました。
交野シティ・フィルハーモニックの方々
演奏に合わせハレルヤを歌う
交野シティ・フィルハーモニックのコンダクターから「声が完全に演奏に負けてる」とか「歌に抑揚がない」等とおしかりを受け、二中の体育館へ戻って再びみっちりと練習するということが数回続きました。
とはいうものの、1回目より2回目、2回目より3回目と練習を重ねるうちに徐々にではありますが歌えるようになっていき(特にテノール)、いよいよ本番を迎えることとなりました。
皆さんお気づきかもしれませんが、バスパートの男性陣については、ある1人が最初はテノールだったものの声域が低いのでバスを担当することとなりました。
「じゃあ、バスはたった一人なの?」とお思いになられたかもしれません。
実は、バスにはチョー強力な助っ人が参加することになっていたのです。
二中の卒業生であり、東京芸術大学をご卒業後、日本のみならず世界でもご活躍されているプロのバリトン歌手星田 裕治さんが、「ハレルヤプロジェクト」のために一肌脱いでくれたのです。
バリトン歌手の星田 裕治さん
ということで、「ハレルヤプロジェクト」には、バリトン歌手の星田さん、ソプラノ歌手の林さんというプロの声楽家が加わる強力な布陣となったのです。
テノールは、アカペラ合唱を趣味としている方や、今回のプロジェクトの音楽指導をして頂いた久本先生のご子息がいる一方、鍼灸師やメカニック、消防士、ピザ店経営者、政治学者など歌はともかくそのバラエティーさで勝負する布陣となりました。
ということで、本番当日の3月12日(月)、学生たちが登校する中同じように二中へと赴き、朝から最後の音合わせを交野フィルとアンサンブル交野の方々と行いました。
まず、3月まで2中のPTA会長であり、創立50周年記念実行委員会の委員長を務められた割石さんが、今回歌われる「ハレルヤ」が2中の合唱祭で歌われるようになった経緯をお話しされました。
(割石さん)
「PTA会長に就任からの3年間、皆さん同様、コロナなしでは語ることのできない3年間でした」
「コロナ禍の3年間は、学校イベントの中止、又は縮小を余儀なくされ、実に歯がゆい思いと自らの力のなさを痛感させられました」
「そんな中、コロナも多少の落ち着きを見せた昨年3年ぶりに合唱祭を行うことができたことを実にうれしく思っております」
「2中の合唱祭は約40年前に始まりました」
「とりわけ3年生が歌う「ハレルヤ」は2中の合唱祭における特別な歌と位置づけられていました」
「合唱祭が始まった約40年前、2中はとても荒れていて、校内暴力や器物破損、授業妨害など日常茶飯事のような状況でした」
「こうした状況を何とか克服しようと学生たちの企画で合唱祭をすることとなりました」
「そして、「復活」という意味を込め「ハレルヤ」が歌われることとなりました」
「当時の学生や教職員たちが奮闘し、合唱祭と「ハレルヤ」が実現したのです」
「幾人かの人は、今回の企画を「大人のエゴ」や「感動の押し付け」と捉えるかもしれません」
「それでも構いません」
「それでも伝えたい感動が2中にはあるということを知ってもらいたいのです」
「明日(3月14日)卒業する皆さんは、決してかわいそうな3年間を過ごした学年ではありません」
「コロナ禍という特殊な状況でも、皆さんの思い出となるような学校生活を少しでも実現しようと教職員や大人たちが奮闘してきました」
「そうした意味でも高い誇りをもって明日2中を卒業されることを願っております」
割石さんのありがたいお言葉の後、50周年記念の記念誌贈呈などいくつかのセレモニーが終わって、いよいよ「ハレルヤ」を歌う段となりました。
練習の時は「声が小さい」とか「抑揚がない」とか散々な言われようでしたが、大人が本気になればどんなものかを見せつけるようなド迫力で本番は「ハレルヤ」が歌われました。
テノールは、アカペラ合唱を趣味としている方や、今回のプロジェクトの音楽指導をして頂いた久本先生のご子息がいる一方、鍼灸師やメカニック、消防士、ピザ店経営者、政治学者など歌はともかくそのバラエティーさで勝負する布陣となりました。
ということで、本番当日の3月12日(月)、学生たちが登校する中同じように二中へと赴き、朝から最後の音合わせを交野フィルとアンサンブル交野の方々と行いました。
そしていざ本番
まず、3月まで2中のPTA会長であり、創立50周年記念実行委員会の委員長を務められた割石さんが、今回歌われる「ハレルヤ」が2中の合唱祭で歌われるようになった経緯をお話しされました。
学生たちの前で話をする割石さん(写真 角氏提供)
(割石さん)
「PTA会長に就任からの3年間、皆さん同様、コロナなしでは語ることのできない3年間でした」
「コロナ禍の3年間は、学校イベントの中止、又は縮小を余儀なくされ、実に歯がゆい思いと自らの力のなさを痛感させられました」
「そんな中、コロナも多少の落ち着きを見せた昨年3年ぶりに合唱祭を行うことができたことを実にうれしく思っております」
「2中の合唱祭は約40年前に始まりました」
「とりわけ3年生が歌う「ハレルヤ」は2中の合唱祭における特別な歌と位置づけられていました」
「合唱祭が始まった約40年前、2中はとても荒れていて、校内暴力や器物破損、授業妨害など日常茶飯事のような状況でした」
「こうした状況を何とか克服しようと学生たちの企画で合唱祭をすることとなりました」
「そして、「復活」という意味を込め「ハレルヤ」が歌われることとなりました」
「当時の学生や教職員たちが奮闘し、合唱祭と「ハレルヤ」が実現したのです」
「幾人かの人は、今回の企画を「大人のエゴ」や「感動の押し付け」と捉えるかもしれません」
「それでも構いません」
「それでも伝えたい感動が2中にはあるということを知ってもらいたいのです」
「明日(3月14日)卒業する皆さんは、決してかわいそうな3年間を過ごした学年ではありません」
「コロナ禍という特殊な状況でも、皆さんの思い出となるような学校生活を少しでも実現しようと教職員や大人たちが奮闘してきました」
「そうした意味でも高い誇りをもって明日2中を卒業されることを願っております」
割石さんのありがたいお言葉の後、50周年記念の記念誌贈呈などいくつかのセレモニーが終わって、いよいよ「ハレルヤ」を歌う段となりました。
練習の時は「声が小さい」とか「抑揚がない」とか散々な言われようでしたが、大人が本気になればどんなものかを見せつけるようなド迫力で本番は「ハレルヤ」が歌われました。
歌う女性陣(写真 角氏提供)
テノールも奮闘(写真 角氏提供))
バリトン歌手の星田さんたち(写真 角氏提供)
バリトン歌手の星田さんたち(写真 角氏提供)
OB・OGたちが1月半かけて練習した「ハレルヤ」は、見事最後の本番で2中に「復活」しました。
歌い終わった直後の高揚感と学生や教職員の方々の大きな拍手に包まれ、創立50周年記念事業の大トリだったハレルヤプロジェクトは幕を閉じました。
ハレルヤプロジェクトに参加した方々それぞれに色々な思いがあるのですが、ここで一部ご紹介したいと思います。
(交野シティ・フィルハーモニック団長の楠元さん)
「みなさんの情熱がすごい!!本番オケの音を抑える必要なかったので、びっくりしました」
「楽しい時間と感動をありがとうございました」
(角さん)一部抜粋
「「大人になるとこんな楽しい機会がある」ことをまさに実感しました」
「「大人も子どもも楽しい」が私のPTA活動のモットーでしたので、その思いが昇華した最高の一瞬でした」
「号泣と感動しっぱなして、お陰様で目が真っ赤に充血し、痛い、、涙」
「眼科のお世話になっております」
(森岡さん)一部抜粋
「ハレルヤ合唱、とてもすてきな思い出になりました」
「もう本番が終わったというのに、私の中では終わるのがもったいなくて、まだ続いている感覚です」
「次の練習はいつ(?)みたいな」
「一番年長の私が若いみなさんと一緒に参加させてもらえたのは、ハレルヤという二中の合唱祭には欠かせない歌があったからこそ」
「そして、そのハレルヤをみんなで歌おうと企画を出してくださったから」
「指導してくださる方がいたから」
「演奏を引き受けてくださる方がいたから」
「そして何よりも、やりたいと集まってくださる方がいたから」。
「ハレルヤを通して、たくさんの方と繋がれたことが、何よりも幸せです」
「ハレルヤ合唱団の皆さま、ありがとうございました」
(匿名)一部抜粋
「参加すると決めてから、5年ぶりにハレルヤが歌える事がとても楽しみで同学年の人がいない中で不安もあったのですが、大人の方々に混ざって楽しく合唱することができました」
「二中の卒業生としてこういった節目の企画に参加する事ができとても嬉しかったです」
(匿名)
「今回、親子で参加させて頂き、来週就職のため関東に引っ越す娘とのよい思い出ができたこと、感謝しております」
(バリトン歌手星田さん)
「段違いで心に届くハレルヤでした!!」
「テクニックとかじゃないんですよ。ハートですよハート!!」
「グッときました!!」
「オケも素敵に演奏してくださいました」
(ソプラノ歌手林さん)一部抜粋
「ほんだら私らで歌おうや!!」
「2中伝統の合唱祭が2年に渡り中止となり、3年ぶりに開催となった今年度、久しぶりに生徒たちの歌声を聞くことができ少し安心したものの、3年生による「ハレルヤ」の歌唱が実現されなかったことにもどかしさを感じ、この伝統を作り上げた当時の生徒・先生の想いが途絶えてしまうかもしれないという寂しさがありました」
「テノールパートがなくなりかけた事件もありましたが(笑)鬼のレッスンに耐えていただき、練習の回を重ねる毎に気持ち良く声が出るようになりました」
「本番に向け、みんなの心が一つになっていくのを感じました」
最後に、ハレルヤプロジェクトに参加した「S博士」の感想を書いて締めたいと思います。
(博士(政治学)Sさん)
中学時代は「ハレルヤ」という意味も分からず、いわば「歌わされた」という感が強かった思い出しかありませんが、大人になって改めてその歌の歴史的背景や歌詞を見直すと「なるほど」という感慨にも近いものを感じました。
そして、割石実行員長の話を聞き、「2中がハレルヤを歌うようになったのはそういうわけがあったのか」というある種の謎がわかり、そうした意味でも今回のプロジェクトに参加した甲斐があったと思います。
「ハレルヤ」という曲は、それ自体を見るならヘンデルが作曲したオラトリオ「メサイア」の中の一曲であり、「メサイア」はキリストの誕生や受難などの内容が歌となっています。
そのため、「「ハレルヤ」は宗教歌である」と一面的には言うことができるでしょう。
しかしながら、三ヶ尻氏も言うように、「ハレルヤ」はできた当初から単に宗教的な意味以上のものを多分に含んだ歌である、という解釈もでき、実際「「ハレルヤ」は宗教歌なのか」という議論がネットを検索すると散見されるのも事実です。
あまり小難しいことを言う場ではないのでこの程度にしておきますが、興味のある方はぜひ「ハレルヤ」や「ヘンデル」について調べてみてください。
英国の政治学者ハロルド・ラスキ(1893~1950)は、「人は衝動 (impulse) の束」という有名な言葉を残しています。
ラスキが言うように、人は何かの衝動に突き動かされ行動を体現するとするなら、2中にとっての「ハレルヤを歌うこと」は、それが宗教歌であるか否かを超越し、「2中のために何かをしたい」という学生や教職員、そして卒業生たちの強い衝動を体現したものの一つということができるのではないでしょうか(小難しい話はもうええねん by ピザ店経営者兼同級生)。
まぁ、最初は「とりあえず歌えばいいかな」程度に思ってましたが、これだけの大人が集まって、しかも、練習の日はみっちりと2時間(時には2時間以上)練習させられて、怒られて、「英語の発音がなっとらん」と言い返してといろいろありましたが、歌のクオリティーについては兎も角、子どもたちには「大人が利益度外視に本気になったらどんなものか」というのを見せられたのではないかと思ってます(笑)
2中のOB・OGそれぞれに「ハレルヤ」についていい思い出やよくない思い出があるかと思います。そうした色々な思い出を紡ぐことができたのは、「ハレルヤ」が2中の伝統としてこれまで世代を超え受け継がれてきた証でもあります。
時代が変わり、人が変わり、それに伴って価値観も変わっていくことは致し方ないことではあります。しかし、割石さんも仰っていたように、「それでも残したい伝統が2中にはあ」り、その一つが「ハレルヤ」だということを2中卒業生の一人として、今の学校関係者、そしてこれから2中に係る多くの方々に是非理解してもらえたらありがたいと思ってます。
ということで、2中創立50周年記念事業はこれでおしまい!!
記事:博士
博士@交野タイムズのこれまでの記事はこちら
歌い終わった直後の高揚感と学生や教職員の方々の大きな拍手に包まれ、創立50周年記念事業の大トリだったハレルヤプロジェクトは幕を閉じました。
ハレルヤプロジェクトに参加した方々それぞれに色々な思いがあるのですが、ここで一部ご紹介したいと思います。
(交野シティ・フィルハーモニック団長の楠元さん)
「みなさんの情熱がすごい!!本番オケの音を抑える必要なかったので、びっくりしました」
「楽しい時間と感動をありがとうございました」
(角さん)一部抜粋
「「大人になるとこんな楽しい機会がある」ことをまさに実感しました」
「「大人も子どもも楽しい」が私のPTA活動のモットーでしたので、その思いが昇華した最高の一瞬でした」
「号泣と感動しっぱなして、お陰様で目が真っ赤に充血し、痛い、、涙」
「眼科のお世話になっております」
小さいパソコンの前に集まり楽団との音合わせの時の映像を食い入るようにチェックする
(森岡さん)一部抜粋
「ハレルヤ合唱、とてもすてきな思い出になりました」
「もう本番が終わったというのに、私の中では終わるのがもったいなくて、まだ続いている感覚です」
「次の練習はいつ(?)みたいな」
「一番年長の私が若いみなさんと一緒に参加させてもらえたのは、ハレルヤという二中の合唱祭には欠かせない歌があったからこそ」
「そして、そのハレルヤをみんなで歌おうと企画を出してくださったから」
「指導してくださる方がいたから」
「演奏を引き受けてくださる方がいたから」
「そして何よりも、やりたいと集まってくださる方がいたから」。
「ハレルヤを通して、たくさんの方と繋がれたことが、何よりも幸せです」
「ハレルヤ合唱団の皆さま、ありがとうございました」
どんな感じで歌うかを表現したメッセージの紙
(匿名)一部抜粋
「参加すると決めてから、5年ぶりにハレルヤが歌える事がとても楽しみで同学年の人がいない中で不安もあったのですが、大人の方々に混ざって楽しく合唱することができました」
「二中の卒業生としてこういった節目の企画に参加する事ができとても嬉しかったです」
(匿名)
「今回、親子で参加させて頂き、来週就職のため関東に引っ越す娘とのよい思い出ができたこと、感謝しております」
(バリトン歌手星田さん)
「段違いで心に届くハレルヤでした!!」
「テクニックとかじゃないんですよ。ハートですよハート!!」
「グッときました!!」
「オケも素敵に演奏してくださいました」
(ソプラノ歌手林さん)一部抜粋
「ほんだら私らで歌おうや!!」
「2中伝統の合唱祭が2年に渡り中止となり、3年ぶりに開催となった今年度、久しぶりに生徒たちの歌声を聞くことができ少し安心したものの、3年生による「ハレルヤ」の歌唱が実現されなかったことにもどかしさを感じ、この伝統を作り上げた当時の生徒・先生の想いが途絶えてしまうかもしれないという寂しさがありました」
「今後歌われることがないかもしれない「ハレルヤ」…冒頭、私が放った一言で委員長に火がつき実現に向けて一気に動き出しました」
「テノールパートがなくなりかけた事件もありましたが(笑)鬼のレッスンに耐えていただき、練習の回を重ねる毎に気持ち良く声が出るようになりました」
「本番に向け、みんなの心が一つになっていくのを感じました」
「50周年実行委員繋がり、委員長特製ポスター、Facebookによるメンバー募集により、卒業生、有志の方で集まったメンバーは総勢50名以上となりました」(交野タイムズの記事もお忘れなく by 記事作成者)
「大人が涙しながら本気で熱く取り組む姿は「大人になるってこんなに楽しいことがあるんだ!」と、子どもたちにも伝わったことと思います」
「50周年記念事業を締めくくるにふさわしい感動のフィナーレとなりました」
「参加してくださったメンバーの皆様、演奏してくださった「交野シティ・フィルハーモニック」、「アンサブル・カタノ」の皆様、そしてご協力いただきました各所団体様、ほんとに本当にありがとうございました」
全員での記念撮影
最後に、ハレルヤプロジェクトに参加した「S博士」の感想を書いて締めたいと思います。
(博士(政治学)Sさん)
中学時代は「ハレルヤ」という意味も分からず、いわば「歌わされた」という感が強かった思い出しかありませんが、大人になって改めてその歌の歴史的背景や歌詞を見直すと「なるほど」という感慨にも近いものを感じました。
「ハレルヤ」を歌うために購入したヘンデルに関する書籍
(うーん。頑張る方向がちょっと違うような… by 実行委員長兼同級生)
そして、割石実行員長の話を聞き、「2中がハレルヤを歌うようになったのはそういうわけがあったのか」というある種の謎がわかり、そうした意味でも今回のプロジェクトに参加した甲斐があったと思います。
「ハレルヤ」という曲は、それ自体を見るならヘンデルが作曲したオラトリオ「メサイア」の中の一曲であり、「メサイア」はキリストの誕生や受難などの内容が歌となっています。
そのため、「「ハレルヤ」は宗教歌である」と一面的には言うことができるでしょう。
しかしながら、三ヶ尻氏も言うように、「ハレルヤ」はできた当初から単に宗教的な意味以上のものを多分に含んだ歌である、という解釈もでき、実際「「ハレルヤ」は宗教歌なのか」という議論がネットを検索すると散見されるのも事実です。
あまり小難しいことを言う場ではないのでこの程度にしておきますが、興味のある方はぜひ「ハレルヤ」や「ヘンデル」について調べてみてください。
英国の政治学者ハロルド・ラスキ(1893~1950)は、「人は衝動 (impulse) の束」という有名な言葉を残しています。
ラスキが言うように、人は何かの衝動に突き動かされ行動を体現するとするなら、2中にとっての「ハレルヤを歌うこと」は、それが宗教歌であるか否かを超越し、「2中のために何かをしたい」という学生や教職員、そして卒業生たちの強い衝動を体現したものの一つということができるのではないでしょうか(小難しい話はもうええねん by ピザ店経営者兼同級生)。
まぁ、最初は「とりあえず歌えばいいかな」程度に思ってましたが、これだけの大人が集まって、しかも、練習の日はみっちりと2時間(時には2時間以上)練習させられて、怒られて、「英語の発音がなっとらん」と言い返してといろいろありましたが、歌のクオリティーについては兎も角、子どもたちには「大人が利益度外視に本気になったらどんなものか」というのを見せられたのではないかと思ってます(笑)
2中のOB・OGそれぞれに「ハレルヤ」についていい思い出やよくない思い出があるかと思います。そうした色々な思い出を紡ぐことができたのは、「ハレルヤ」が2中の伝統としてこれまで世代を超え受け継がれてきた証でもあります。
時代が変わり、人が変わり、それに伴って価値観も変わっていくことは致し方ないことではあります。しかし、割石さんも仰っていたように、「それでも残したい伝統が2中にはあ」り、その一つが「ハレルヤ」だということを2中卒業生の一人として、今の学校関係者、そしてこれから2中に係る多くの方々に是非理解してもらえたらありがたいと思ってます。
ということで、2中創立50周年記念事業はこれでおしまい!!
記事:博士
博士@交野タイムズのこれまでの記事はこちら