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【カタノテツ】交野の鉄道ものがたり:file.26 EXPO'70の頃 京阪1300系

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交野を走る鉄道のことを、新旧おりまぜながら、『明円勝(Masaru Myoen)さん』と、時々『駐在員さん』の写真等のご協力により紹介しております。

今回は『明円勝(Masaru Myoen)さん』によるカタノテツです。


カタノテツfile.26

EXPO'70の頃 京阪1300系

あれから55年後、再び大阪で万国博覧会が開催されるとは感慨も一入です。

関西の鉄道は、昭和44年12月に京阪が2400系をデビューさせ、冬場ではあるものの通勤冷房車の皮切りとなりました。

明けて昭和45年は、万博輸送で国鉄の12系客車等が大活躍しその牽引に駆り出された蒸機・電機・ディーゼル機関車にファンは湧きたったものでした。

この頃京阪電車ではドア横にEXPO'70のPRステッカーが張られていました。

車体の側面に1枚とは、かなり遠慮してたと思います。



1970年7月 
牧野-御殿山 
2200系


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EXPO’70開催当時枚方市立枚方第一中学校に通う3年生だった筆者は、父親から貰った35mmフィルム仕様のレンズ交換が出来ないカメラに小遣い全部突っ込んで、同級生の写真屋さんで富士のネオパンSSというフィルムを買い求め、チャリンコにまたがり片町線・交野線・京阪本線を訪ねました。

今回は、交野線で撮影した1300系です。

EXPO'70の頃、交野線は既に4連化されていて、1300系は本線優等列車を降りたところでした。

時代は交野線複線化を求め京阪電鉄は、先ず部分複線化を目指して工事をスタートすることになります。



1970年6月  
村野-郡津 
1306

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先頭の1306は、元々両側運転台2扉車でしたが、昭和42年から43年にかけて片側の運転台を撤去して3扉化を実施しました。

この改造工事は1300系全車に実施され、片運化は高価なATS装備の経費削減に、3扉化はラッシュ時の乗降に大いに役立ちました。

写真の左後方には、今も松塚公園に存在する松の木が見えます。



1969年 
松塚公園造成中の
郡津駅辺り

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写真の左上に写る白い建物の左方向奥角に、筆者の先輩が営まれている有名な『手打そば乃田』があります。

是非ご賞味下さい。



1970年6月  
村野-郡津 
1305

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線路の天野川側は住宅地として造成され、新築の一戸建て住宅の建築が始まっていますが、反対側は未だ稲が青々と育っています。

単線の見晴らしの良い交野線には、旧型車両がとても良く似合っていました。

今は10000系と最新鋭の13000系が走っています。



1970年7月  
村野-郡津 
1312

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北川の堤防に向けて、築堤を駆け上るこの辺りは、枚方市の端っこにあたり、後ろには大阪府住宅供給公社の村野団地が見えます。

ここも手前は田んぼでしたが、今も畑等が残っています。

先頭の1312は特急車両の不足を補うために、マンダリンオレンジとカーマインレッドの特急色に鳩マークを掲げて、天満橋-三条間を走った時期もありました。



1970年6月
村野駅私市側 
1300

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写真の左側は田んぼでした。

交野は昭和52年11月に『交野市』に駅名変更されました。

交野線は全線単線の中で、村野と交野は列車交換駅でした。

今もホームの私市側の渡線が存在しますが、レールの配置はこの写真とは異なります。

右手前に開いたレールは、安全側線といい、列車が停止を現示する出発信号を暴進した際に、強制的に脱線させて正面衝突等の事故防止する設備です。


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0_お菊
お菊のひとことEXPO'70の頃といえば…お菊@交野タイムズ、母親は弟がお腹にいて大変なので、父親とふたりで行ったみたいです。

人気のパビリオンはひとがいっぱいであきらめた父は、小さな乗り物にのせてくれて、記念撮影。

記憶はあまりないけど、写真はたくさん残っていました。

明円さんは、すっかりご自分で鉄道を撮影されていたのですね!

あの頃の交野線、交野の風景、交野市駅も郡津のあたりも、少し面影がありますね。


『カタノテツ』バックナンバーはこちらから↓




  明円勝さん(Myoen Masaru)プロフィール


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1956.1.25生まれ
大阪府守口市出身
大阪工業高等専門学校 機械工学科卒
音楽好き、淡水魚好き、鉄道好き


記事:お菊
撮影:明円勝さん
お菊過去記事はこちら

ライター:katano_times katano_times


 コメント一覧 (1)

    • 1. 通りすがりの鉄
    • 2023年03月01日 03:55
    • 「交野駅」の私市側とされている写真は「村野駅」の私市側と思われる。

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