交野の山中、難所の道沿いに「鳥居谷」という場所があってそれは住吉神社と関係あるみたい
郡南街道
(枚方交野郡山線:大阪府道・奈良県道7号枚方大和郡山線)
です。
麓には神宮寺温度計が入り口があるので、あぁあそこの道かとお分かりいただけると思います。
郡南街道
交野山やいきものふれあいの里、それからくろんど池や奈良県生駒市方面へ交野市街地から行く最短ルートがこの郡南街道ではあるのですが、途中道幅めっちゃ狭くなったり、急な坂道だったりで、知らずに通ったら怖い思いをするのではないかしらという道で、酷道といっても過言じゃないかもしれません。
(余談ですが、ハラダ@交野タイムズは中学生の時、くろんど池に行くのに自転車でこの道を登ったことがあります。大人になって思うのは、ママチャリではもう行きたくないですの一言です)
(途中、景色が綺麗なところもありますが、うっかりよそ見なんかできない道路)
そんな郡南街道を通っているときにこんなのを見つけました。
道沿いに何か石碑が1つ。
史跡 鳥居谷
鳥居谷と書かれた石碑です。
史跡とあることから何かしらの歴史的な由緒のあるものだと思われます。
調べてみると、ここにその昔、鳥居さんという有名な人が住んでいたとかそういうのではなく、交野の昔と今を結びつけるそんな歴史の架け橋になっている史跡でした。
どういうことかというと、交野市広報平成9年(1995年)10月25日発行号にこんな掲載がありました。
(画像クリックで交野市広報平成7年10月号PDFへ)
この時の交野市広報誌は、郷土史かたのカルタの特集をやってる時だったようで、「つ」つくね飯 食らって運ぶ 大鳥居 のカルタの説明がありました。
そこに、この郡南街道の鳥居谷についても言及されていて、このようなことが紹介されていました。
(交野市私部にある住吉神社の大鳥居)
・私部の住吉神社の大鳥居は、大風で倒れて1860年(万延元年)に再建された交野で一番大きな鳥居
・私部口山からその大鳥居となる石材を切り出して、200〜300人で麓まで運んだ
・運ぶ時につくね飯を食べ「あーえんやらやー そらどっこいしょ」と法被を着て綱を引いた
・その鳥居の原石を取り出した場所が、鳥居谷と呼ばれている
なんと、この郡南街道沿いあった鳥居谷という石碑は、このような歴史があったのですね。
険しい道の傍にある小さな石碑。
そこには、交野の里山と地元の神社をつなぐストーリーがありました。
記事:ハラダ
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*郡南街道は対向車が来たら絶望的なほど道幅が狭いところもあります。また冬季は路面凍結で通行止めになっていたり、雨の日も路面が滑って危なかったりもするので、車の運転に自信がない人は通行はやめておくのがモアベターです。
車なので通り過ぎていましたがそんな歴史があったのですね
今度から住吉神社行くときに交野山を感じながら鳥居をくぐれそうで交野の小さな魅力がひとつ増えました、記事ありがとうございます