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【カタノテツ】交野の鉄道ものがたり:file.24 片町線を走ったC11という機関車(その4)

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交野を走る鉄道のことを、新旧おりまぜながら、『明円勝(Masaru Myoen)さん』と、時々『駐在員さん』の写真等のご協力により紹介しております。

今回は『明円勝(Masaru Myoen)さん』によるカタノテツです。


カタノテツfile.24

片町線を走ったC11という機関車(その4)

梅小路蒸気機関車館開館後留置されていたC11

昭和47年10月10日 
鉄道100年を記念して開館した梅小路蒸気機関車館の、扇形庫の外で留置されていた、蒸機機関車2両を紹介します。
その形式はこれまた片町線を走ったC11と同形式でした。

1971年8月23日 
長万部機関区 
D51340(萬) 
C11180(萬)

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現役当時、北海道長万部機関区でD51と並んで出区を待つC11180は、片町線蒸気機関車最終列車を牽引したC11175と同じく、昭和15年川崎車両兵庫工場で製造された僚機ですが、晩年の姿は夏でも複線用スノウプロウを装備し、標識灯は煙室扉横に移設する等北海道仕様でした。



1980年4月26日 
梅小路機関区 
C11180 
(廃車留置)

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本機は、昭和48年11月3日付け長万部機関区で余剰廃車となり、北海道大沼町での保存が予定されましたが、残念にも計画が取り消されました。
幸い解体処分を逃れ、その後遥か京都の梅小路機関区での留置が始まりました。
蒸気機関車館の保存機関車と比べて、かなり錆が目立つ哀れな姿をさらしていました。

そして、昭和58年3月遂に静態保存先である山城総合運動公園(太陽が丘)に移設展示されて、その後屋根が設置され、機関車の状態維持に効果があったと思われましたが、台風の被害にあい撤去されていました。


ここで最新ニュースです!

令和4年11月14日から、株式会社JR西日本テクノスの手により、C11180の再塗装工事が開始されいます。
令和5年2月には美しい姿が披露される事と期待が高まります。

2022年11月24日 
山城総合運動公園 
C11180 
塗装工事現場

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テントに陽の光が当たると、機関車のシルエットが浮かび上がっています。

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テントの隙間から後姿が覗いていました。

今回の塗装工事は、JR西日本(正式名称 西日本旅客鉄道株式会社)のグループ会社である、株式会社JR西日本テクノスが請負ったので、丁寧な仕事が展開される事と思います。
その訳はJR西日本の車両に係る部品製造・リニューアル改造・メンテナンス・開発等の技術を担う企業が、株式会社JR西日本テクノスだからです。

つづく

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0_お菊
お菊のひとこと『片町線を走ったC11という機関車』というシリーズも4回めとなりました!

現役を退いた機関車。
今回のお話のように、バリバリ活躍していた時代が終わったあとは、保存、展示されたりという道をたどることが多いのですね。

絵本「機関車やえもん」を思い出してしまいます。
最後は、ぴかぴかに磨かれ博物館に展示されます。

引退後の機関車たちが、やえもんのように幸せな日々だといいなあと思います。

さあ、まだシリーズは続きますよ!
次回もお楽しみに!


『カタノテツ』バックナンバーはこちらから↓




  明円勝さん(Myoen Masaru)プロフィール


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1956.1.25生まれ
大阪府守口市出身
大阪工業高等専門学校 機械工学科卒
音楽好き、淡水魚好き、鉄道好き


記事:お菊
撮影:明円勝さん
お菊過去記事はこちら

ライター:katano_times katano_times


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