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大阪府交野市のローカル情報がめっちゃある!

亀山上皇、交野に来てたみたい!院田って書かれた看板あってそれ読むと歴史と地名の由来書いてた!

京阪電車の河内森駅の踏切を渡って私市3丁目方面、河内森駅西自転車駐輪場とかある方面へ進むとこんなのがあります。

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(こっちまっすぐ行くと河内森駅方面)

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(こっち側は私市4丁目方面、近くにはヨガスタジオのオンブラージュさんや産巣日などがあります)

こんなのとは・・・そう、これ。
院田
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案内板が1つあって、それを読むとこう書いてあります。

院田
このあたりを院田(いで)と言います。
亀山上皇(1249年〜1305年)が御病気の時、獅子窟寺の薬師如来に平癒の御祈願になり、この地に行宮(あんぐう)をお作りになりました。

その後、病気はよくなり、大変お喜びになって、ここに観音寺(千手寺)をお建てになりました。

この寺の維持のため、田をお与えになったので、院田(上皇の田)という地名が残りました。

元和元年、大阪夏の陣で大坂方に観音寺は焼かれ、その後は千手寺と親しまれ今日に至りました。

昭和48年、私市区により廃千手寺と廃蓮華寺の仏像を一同にお祀りのできる収蔵庫が完成し、平成4年その中の聖観音立像と如意輪観音坐像が交野市の指定文化財に指定されました。

交野市教育委員会
私市区


院田で「いんでん」、「いで」と言います。

鎌倉時代に、亀山上皇が病気の祈願のため獅子窟寺の薬師如来に参拝されたそうですが、道中(今もそうですが)獅子窟寺まで険しい山道もあったので、麓に休憩宿舎を作ったそうで、それが千手寺。

千手寺のために田んぼができて、その田んぼが亀山上皇院の田んぼということで、院田という地名になったそうな。

こちらの案内板では「いで」とありますが、近くの電柱にはインデンって書かれていたりもしますし、この辺りの地名を井手(いで)と呼ばれています。

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院田の案内板のあるところに収蔵庫があって、その前は千手寺(せんじゅじ)ちびっこ広場という公園があり、すべり台とブランコとベンチがある公園で、ベンチのすぐ脇には桜の木が1本あり、なんとなくほっこりする場所になっています。

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収蔵庫の前に公園があるのは交野市内でもここだけなんじゃないでしょうか。

余談ですが、獅子窟寺へ向かう道中に「王の墓」と呼ばれる亀山上皇と皇后の供養塔があり、獅子窟寺から麓のこの辺りの私市エリアで今もなお亀山上皇と繋がりを感じるところです。

大阪府交野市。

原始時代の石器や縄文・弥生時代から人の営みがあるところです。

そして、市内には歴史を感じるスポット、地名などもたくさんあるので、歩いていて、ふとした瞬間に邂逅することも多い街です。

みなさんもぜひお住まいの近くを歩いてみてください、石碑や石仏や案内板などなど、きっとおやっ!これは!っていうモノと出会えると思います。



記事:ハラダ
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ライター:katano_times katano_times


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