ちょっと前まで池が3つ!静かに田畑を眺める「鐘撞どん地蔵」さんが東倉治にいらっしゃる
Googleマップで探すと「鐘撞どん地蔵(かねつきどんじぞう)」と名前があります。
なぜに「 鐘」を「撞く」のか。
この疑問は、いつもお世話になっている交野の歴史ならここを見ろ!のゴッドファーザーかたのさんのホームページ「星のまち交野」にありました。
鐘撞堂池
(かねつきどんいけ)
東倉治2丁目3
関西電力枚方変電所の下に松塚上池、下池があり、その下の池である。面積は約20アール。
標高は50m。第2京阪国道予定地の側にある。
この池の堤防に鎮座する阿弥陀様を「鐘撞どん地蔵」という。
この堤防の下に昔、小さなお堂(鐘撞堂)があって鐘が吊るしてあった。
鐘は下の田んぼが、日照りで水が無くなった時、池の水を出さなければならない。
そんな時、この鐘をついて池の水を出すことを村人に知らせたのである。
村の人は鐘が鳴ると自分の田の水口を開いて水が入るようにして待ったのであろう。
その鐘撞堂があったことから、鐘撞堂池と名がついた。
引用:「12/9(日) 無縁墓・清水谷古墳の清掃と周辺の石仏、湧水(水源)を求めて歩く 交野古文化同好会」
(かねつきどんいけ)
東倉治2丁目3
関西電力枚方変電所の下に松塚上池、下池があり、その下の池である。面積は約20アール。
標高は50m。第2京阪国道予定地の側にある。
この池の堤防に鎮座する阿弥陀様を「鐘撞どん地蔵」という。
この堤防の下に昔、小さなお堂(鐘撞堂)があって鐘が吊るしてあった。
鐘は下の田んぼが、日照りで水が無くなった時、池の水を出さなければならない。
そんな時、この鐘をついて池の水を出すことを村人に知らせたのである。
村の人は鐘が鳴ると自分の田の水口を開いて水が入るようにして待ったのであろう。
その鐘撞堂があったことから、鐘撞堂池と名がついた。
引用:「12/9(日) 無縁墓・清水谷古墳の清掃と周辺の石仏、湧水(水源)を求めて歩く 交野古文化同好会」
この地に池があったことに、驚きました。
ここはちょうど第二京阪道路の側です。
京都の方に向くとちょうど第二京阪の「交野北料金所」が見えます。
近くに池らしきものは見当たりません。
この古文化同好会の記載のあったは、2001年12月9日。
第二京阪道路が開通したのが2010年ですから、開通以前にはここに池があったのですね。
同じHPに当時の地図もありました。
(引用;交野古文化同好会ホームページ。画像クリックでリンク先へ)
昔は松塚上池、松塚下池、鐘撞堂池の連なった3つの池があったようです。現在のこの辺りは、こうなっています。
池は、松塚下池と上池の2つしか見当たりません。
松塚下池は、昔に比べて小さくなっているようにみえ、鐘撞堂池はありません。
第二京阪道路建設によって、埋め立てられたのでしょうか。
鐘撞どん地蔵の位置もすこーーしズレているように見えます。
池もなく、鐘撞堂も無くなりましたが、現在も小高いところから田畑を見守っておられます。
ここから見える景色は、交野、東倉治の田園地帯。
昔の交野を彷彿させる貴重な景色です。
記事:ひろちゃん
撮影:ひろちゃん
取材場所:交野市東倉治
ひろちゃんのこれまでの記事はこちら