星田小学校には、今も二宮金次郎さんがいる!〜すぐ後ろには大阪府下で現存する最後の1体の楠木正成像も〜
そんな撤去が進んでいる二宮金次郎の像が、交野の小学校にあるのです!
それが、こちら、
交野市立星田小学校
二宮金次郎(尊徳)とは…
二宮尊徳は、江戸時代後期の農政家・思想家。
裕福な農家に生まれ、教育にも恵まれて育ちましたが、近くの川の氾濫で田畑が荒れてしまいます。復旧のために借金を抱え、14歳の時に父親を亡くし、薪を拾い、田畑を耕し、わらじを作って一家を支えました。「百姓も知識を持たなければならない」と考え、薪を売りに行くときには、薪を背負いながら本を読んでいたといわれています。
やがて、生家を再興し、田畑を買い戻し、なおかつ貸し出しなどをして収入を得て大地主に。
暮らしに困った人に無利子でお金を貸し出し、恩義を感じた人は自分から利子を払ったともいわれています。金次郎の手腕は評判となり、幕府にも登用され、生涯で600以上の家や村を再興したといわれています。
大正から昭和初期頃の日本は、国に奉公する国民の育成を進めていたので、自ら貧困から立ち上がり幕府のために働いた金次郎はその象徴だったというわけです。
ですが、現代の感覚にそぐわない…などの理由で老朽化や学校の建て替えなどに伴い撤去が進んでいるのです。
だから、
二宮金次郎の像があるということは、とても歴史があって石像を大事にしている小学校だということ。
実際、星田小学校は明治時代初期に交野郡星田村に設置された小学校を起源とし、大阪府内でも特に歴史が深い小学校なのです。
(ちなみに、星田小学校から寝屋川市立明和小学校、妙見坂小学校、旭小学校が分校しています。)
星田小学校は明治時代の一時期、交野小学校の分校だったこともあったそう。
実は、交野小学校にも二宮金次郎があったそうです。
交野小学校の金次郎さんは足を怪我してしまい、倉庫に入院した…と聞いています。
今年3月末で閉校となったことで、その後はどのようになっているか確認できていません。
情報をお持ちのかたは、是非教えてください。
今回、写真を撮るのに、許可を頂き、学校へ入らせていただきました。
いかに歴史が古い学校であるかが分かります。
(大正時代の学校の写真などもありました)
なつやすみのお知らせのお手紙。
休みの間はとかく児童がわがまゝになりやすいもので…と書いてあったりもします。
ちなみに星田小学校は2013年に「おおさか芝生優秀賞」を受けています。
府内の小学校における校庭の芝生の活用に功績のある団体が受賞するもので、星田小学校三本松会というPTAの役員のOB会が受賞しました。
「三本松会」はこの三本松が名前の由来なのかな…?

楠正行 像
実はこちらも大阪府で設置された楠像77体のうち
実はこちらも大阪府で設置された楠像77体のうち
正行像で現存するのはこの一体だけなんだそうです!
どうやら設置されたのは、昭和16年に設置されたようです。
どうやら設置されたのは、昭和16年に設置されたようです。
交野市内で金次郎さん、ここにもあるよ!などの情報ございましたらお待ちしております!
コメント一覧 (2)
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- 2022年06月07日 09:48
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星田小学校卒業生です。学校の記事は嬉しいです。150年くらいの歴史がありますよね。
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- 2022年06月06日 11:55
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昭和31年交野小学校に入学した時は現在の正門入口入れば右側に体育館体育館と職員室が有り職員室と体育館には廊下が有り、体育館の横に二宮金次郎さんが有りました🎵
職員室の校舎と体育館の南側に小さな川が有り(その小川は小学校の西側に一般道の砂利道の通学道を挟みため池に流れていました🎵
小川が流れていた、ため池の手前の通学路の坂道の登りT字路の左側に文房具、ノ―ト、お昼のパン販売の小屋も有りました🎵
ため池の南側は畑と竹やぶで現在は住宅地ななっています。)学年別の教室に行くためにはその川の橋を渡りました。
現在は運動場になって小川も無くなっています🎵