こんな歴史があったとは!河内森から歩いて行ける歴史スポット『蛙石(森燈籠の辻)』
交野タイムズでも各地の歴史スポットをご紹介してきていますがまだまだご紹介していないものがたくさんあります。
今回は京阪電車河内森駅から歩いて行ける歴史スポットをご紹介します!
住宅街の中にあるので、素通りしてしまっている方も少なくないかもしれません。
それがこちら。
森燈籠の辻
住所は大阪府交野市森南2丁目24で、京阪電車河内森駅から徒歩約7分ほどで到着します。
先日ご紹介した大門酒造さん裏のポストのすぐ近くでもあります。
ポストの記事はこちら ↓
振り向くと森林が丸見えになっているところがあり、何やら工事途中で入れないようになっていました。
そちらの様子は以前、ハラダ@交野タイムズが記事でご紹介しています。
その時の記事はこちら ↓
こちらの石燈籠、実際に見てみると結構大きくて存在感があるのですが、地図で見るまで気が付きませんでした。
あ・・・なんか石あるわ・・・くらいには思っていたかもしれませんが、何度も通る道ではなかったので掘り下げて調べてみました。
こちらは春日大明神と天照皇大御神の石燈籠だそうです。
実際に見ると「春日大明神」という文字が分かりやすく残っています。
こちらの石燈籠には「石清水八幡宮」と彫られています。
交野に所縁のある石清水八幡宮の文字がここにも!
探したらもっともっとある気がしてきました。
そして実は、石燈籠から視線を左へずらすとさらに歴史の残る石があります。
こちらはただの石ではなく、『蛙石』と呼ばれる歴史の残るものです。
交野の歴史ならここを見よ!と頼りにさせていただいているゴッドファーザー交野さんのホームページ「星のまち交野」に詳しく歴史が書かれていたので、一部を抜粋してご紹介させていただきます。
写真・左側にあるのが『蛙石』
『昔、河内郡交野の森という村の城戸(きど)という所に、由松とお種という仲のいい夫婦が住んでいた。
この夫婦はわずかな田畑を耕作して生計を建てていた。
ところが、ある日庄屋さんがきて
「由松さんよ、郡代からの命令だが、大和の国の郡山城の普請に出てくれんか。
各村からも数名の呼び出しがあるので、明日是非郡代のところに出頭してほしい」
こんな命令があった。
時々夫から無事を知らせる便りが来た。
「郡山城では石垣の石を各地から運搬している。
もう3か月もしたら工事も完了する」
と知らせてきた。
その後、夫由松からの音信のない日が続いた。
夫は元気で働いてくれていると信じてはいるものの、音信がないので寂しかった。
3か月も過ぎたのに夫は帰ってこない。
他の村の人々は一人、二人と帰って来たのに夫由松は帰ってこない。
ところがある人の話に、城の石垣が崩れて数名の死傷者がでたということであった。』
『お種さんは庄屋に行って由松の安否を聞くが、庄屋は郡山に問い合わせるとの返事だけであった。
お種さんは夫の帰るのを今か今かと待ったが夫の姿は見えなかった。
そのうち、お種さんの行方はわからなくなった。
関係先をも探したが不明であった。
村の人たちはお種さんの行方を捜しているうちに、いつもお種さんが立っていたところに、大和から帰ってくる方の道を見るように蛙のような石があるのに気が付いた。
お種さんは由松さんの帰るのを待ちきれず石になったのではないか、
誰がいうとなしに世間の口に上った。』(星のまち交野より)
・・・という、少し切ない歴史が言い伝えられているそうです。
後ろから見た方が蛙っぽいかも
今も待っているのかしらと思うと、さらに切ない気持ちになります。
さらにここから徒歩で1分もかからないところにも石燈籠があります。
こちらは
『二月堂石燈籠』
という石燈籠だそうです。
住宅街の中なので、どこかのおうちのオブジェかな?と思いきや意外と史跡だったり歴史の残る石燈籠だったり、交野はなんともおもしろいまちですね。
まったく歴史を知らない人がこういったきっかけでなんとなく調べて、さらに誰かに話すことによって、何十年も何百年も歴史が残ることになるのだなぁとしみじみ思いました。
よく見ると「二月堂」と彫られているのが見える!
そういえば森燈籠の辻の史跡にあまり見かけないカラフルな虫さんがひっついていました。
この子は誰さんなのかしら。
休憩中なのかじっとしていました。
じっ・・・
静かで陰になっているところには虫さんやとかげさん、かえるさんなど小さないきものがこっそり隠れていることもあります。
歴史スポット探しと一緒に、いきもの探しをするのもお散歩の楽しみになりそうですね♪
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記事:みーこ
撮影:みーこ
撮影地:交野市森南2丁目付近
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