もんもん交野ラジオコウシン局の第22回のゲストは郡津の明遍寺・笹田ご住職。その歴史のお話をお聞きしました。
「交野タイムズ」なんですが
WEBのタイムズ
新聞の交野新聞
といわれているように、
もうひとつのメディア
「交野新聞」!
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交野新聞・公式HPはこちら
その交野新聞さんがされてるラジオに、お菊@交野タイムズ もアシスタント役でついていかせてもらっているご縁で、交野タイムズにもラジオの情報を速報させていただきます!
きくっぺ&小川デスクの
もんもん交野
ラジオコウシン局!!
きくっぺの見たい聞きたい知りたいシリーズ
↑
ちなみにネーミングは小川さんです。
(もんもんってなんや〜)
交野のすてきなヒトに小川デスク(+きくっぺ)が会いに行くという、インターネットラジオ番組です!
※インターネット環境下でどなたでもお聴きになれます
※きくっぺとはお菊@交野タイムズのことです。
※22回めをむかえてもトークに慣れないお菊@交野タイムズですが、いつも楽しいです♪
交野タイムズ記事でも番組紹介させてもらいますね!
つまり共同企画〜
郡津・明遍寺の笹田ご住職!
交野市郡津の明遍寺のご住職は宇治出身の三男、声優のような声ですね。
ラジオの説明コピーより
クリックでラジオが聴けます↓
後編もまもなく公開予定。
お楽しみに〜
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笹田ご住職は、まだお若いご住職で、すてきなボイス!
明遍寺の歴史や笹田ご住職のお話など、そのすてきボイスでお聞きしてきました。
こちらは、浄土宗大本山 百万遍知恩寺『利剣名号軸』がもとになっている
コロナウィルス感染症・疫病退散のための掛け軸。
この『利剣名号軸』、剣のように尖った文字!
書というよりも、レタリングされたタイポグラフィデザインの世界ではないですか!
知恩寺の「利剣名号軸」は、弘法大師さん作と伝えられています。
この剣のようなデザインで疫病も退散してほしいものです。
ご本堂もじっくり見学させてもらいました。
ご住職が交野に来られたご縁のお話もお聞きでき
昔の交野の歴史にも思いを馳せる時間となりました。
詳しくはラジオを聞いてみてくださいね!
お庭には、澄んだ冬の空気のなか、蝋梅が凛とたたずんでいました。
丁寧にお手入れされたお庭からは、四季折々の姿が見られることでしょう。
春はもうすぐ。
古文化同好会さん監修の「星のまち交野」の中の
かるた郷土史めくりのページによりますと
明遍寺の名前は、平安時代の僧侶「明遍」の名前からとっているということです。
明遍は、12世紀の中ごろに最も権力を持っていた藤原氏の一人、藤原信西の子です。信西は平治の乱(1159年)で殺され、信西の男子は出家させられました。
その中でも明遍は優秀で、東大寺や高野山で学び、念仏者としても著名で、空阿弥陀仏と呼ばれていました。明遍寺は、明遍が高野山から京都に住む法然上人に会うため旅路の休息所として、郡津に小庵を建てたのが始まりだとされていますが、実際には、明遍が法然とひんぱんに会っていたとは考えにくく、言い伝えでの話だと思われます。
しかし、郡津には京都と高野山を結ぶ東高野街道の休憩所である茶屋があり、高野山に関係のある著名な僧侶たちもここを通った可能性は高いと考えられます。
明遍は、12世紀の中ごろに最も権力を持っていた藤原氏の一人、藤原信西の子です。信西は平治の乱(1159年)で殺され、信西の男子は出家させられました。
その中でも明遍は優秀で、東大寺や高野山で学び、念仏者としても著名で、空阿弥陀仏と呼ばれていました。明遍寺は、明遍が高野山から京都に住む法然上人に会うため旅路の休息所として、郡津に小庵を建てたのが始まりだとされていますが、実際には、明遍が法然とひんぱんに会っていたとは考えにくく、言い伝えでの話だと思われます。
しかし、郡津には京都と高野山を結ぶ東高野街道の休憩所である茶屋があり、高野山に関係のある著名な僧侶たちもここを通った可能性は高いと考えられます。
笹田ご住職が詳しくわかりやすくお話ししてくださり、交野の歴史、ますます気になり深く掘り下げたくなり、お寺を散歩する楽しみが増えますね。
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もんもん交野ラジオコウシン局は、いろんな交野にゆかりのあるゲストに登場してもらっています。
過去の放送一覧です♪
「家事をしながら」「散歩をしながら」などなどにちょうど良く、「リアルな交野が聴ける」とひっそりと評判ですよ!
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記事:お菊
取材:小川デスク(交野新聞)&お菊ゲスト:明遍寺・笹田ご住職
お菊過去記事はこちら
提携メディア:交野新聞・もんもん交野ラジオコウシン局