【カタノテツ】〈今昔比較〉交野の鉄道ものがたり:file.09 50年の時をまたいで比較してみた!神宮寺を走るクモハ60と321系。最後部クハ79は「ぶどう色2号」!〈1971年 河内磐船ー津田〉
交野を走る鉄道のことを、新旧おりまぜながら、明円勝(Masaru Myoen)氏の写真ご協力によりご紹介します。
カタノテツfile.09
50年の時をまたいで撮影した2枚の写真を比べてみました。
神宮寺踏切の辺りは第二京阪道が通り随分様変わりしましたが、このエリアには今も田んぼや畑が残っています。
1971年11月12日
河内磐船-津田 神宮寺踏切
クモハ60 5連
長尾行き 単線電化区間を行く片町線の国電の先頭はクモハ60系でノーシール・ノーヘッダーの変わり者。
そして最後部のクハ79はぶどう色2号(マンセル記号 2.5YR 2/2)塗装のままで近日の転入車と思われます。
この頃の乗客は「片町線の電車はこんなもんや」と思っていたかもしれませんが、日本一の旧型国電の宝庫なのでした。
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50年後
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2021年10月26日
321系は複線電化区間を行く207系に交じり関西の多様な路線で活躍中です。
※かずのこ太郎さん・京阪電車マニアさん
修正箇所ご指摘ありがとうございました。
写真/文:明円勝さん
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明円勝さん(Myoen Masaru)プロフィール
1956.1.25生まれ
大阪府守口市出身
大阪工業高等専門学校 機械工学科卒
音楽好き、淡水魚好き、鉄道好き
記事:
お菊 撮影:明円勝さん
お菊過去記事はこちら
吊り掛け駆動で、モーター音が、大きかったのを、覚えています。
その後、101系、103系になって、木津駅まで電化されて、快速電車が、走るようになって、分割併合されるようになりました。
101系のさよなら運転の時に、7両編成のまま運転され、松井山手駅~木津駅間を、無停車で運転されました!?
ホーム長が短かったので、停車させると対向列車の邪魔になるからだと思われます。
その後、今のJR東西線の為に、207系が、7両貫通編成で試作され、珍しく、新型の新車が、投入されました。(最近、廃車回送されました。)
量産車は、分割併合の為に、3両編成と4両編成で、造られました。
321系は、7両貫通編成になりました。(最初は、JR東西線には入らず、東海道線の普通列車のみの運用でした。)