もこもこの木といきいきの飛燕のこと〜戦争中星田に墜落した場所と現在の展示場所をめぐる〜
何かを覆い隠すように立っています。
JR学研都市線の星田駅から河内磐船駅方面へ続く線路沿い、住所でいうと交野市星田北。
(あっち側がJR星田駅方面)
(反対側は、牛兵衛星田店の方に行きます)
もっと寄ってみると
木に覆われていますが、なにかの碑の様です。
中村中尉の石碑
こちらの石碑は、昭和20年7月9日にこの地で亡くなられた中村純一中尉をしのんで建てられたものでした。
石碑には、
陸軍中尉中村純一は学鷲として参戦 凄惨苛烈なる戦局俄かに急迫を告ぐる頃 一切の懐疑迷妄を越え淡々として特別攻撃隊を志す昭和二十年七月九日 天日を覆ひて来襲せる敵機群に突入 壮絶なる空中戦を展開するも遂に被弾この地に恨みを残して散る
近隣有志が相集ひ烈士の霊を懇ろに弔い鎮魂の碑を建つ平和は血と涙によって築かれたるも愛惜と悲しみは尽きず痛恨の碑の前に伏し御霊安かれと祷る
とあります。
中村中尉は、米軍戦闘機との空中戦で撃墜されたそうです。
いつ建てられたのか定かではないですが、もこもこになった木が年代を感じさせます。
中村純一中尉といえばいきいきランドのロビーに展示してある飛行機の操縦者です。
交野市向井田にあるいきいきランド交野。
体育館のスタードームが見えます。
ドームの中に入ってまっすぐ行くと展示があります。
エンジンの残骸です
60年後にエンジン発見と見出しの記事
発見された当時の新聞も一緒に展示してあります。
この戦闘機飛燕の残骸は、2005年3月に交野市星田北8丁目から出土。
第二京阪国道の建設工事の際に出てきたんだそうです。
発見されたのは、機関銃1丁、銃弾3発それからエンジンとプロペラなどが出土されたと書かれていました。
第二次世界大戦の終戦前の7月9日、米軍機P51約50機が来襲、大阪上空で空中戦があり、鹿児島県出身の中村純一中尉が操縦する戦闘機・飛燕が撃墜され、星田に墜落しました。
中尉は、パラシュートで脱出しましたが、米軍機が翼でパラシュートのロープを切り、中尉は水田にしぶきを上げて墜死され、星田の村民が手厚く弔われた
と説明が書かれていました。
2005年(平成7年)のことですから、16年前に見つかったのですね。
(この飛行機が「飛燕」。プラモデルも展示されていました)
戦争が終わった1945年から76年経ちました。
もう随分と昔の話になってますが、忘れてはいけない事だと思います。
そっと、中村中尉の石碑に手を合わせてきました。
余談ですが、もこもこの木といえば、交野市私部(きさべ)にある木もそんな感じで、交野タイムズではその木のことをモッコモコの木と呼んでいます。
記事:ひろちゃん
撮影:ひろちゃん
取材場所:JR星田駅近辺、スタードーム
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