50年以上前のモノ!交野町だった頃の水道消火栓が星田妙見宮境内にはまだある!【交野レガシー見つけた】
市政50周年とはようするに交野が交野市になって50年になるということで、じゃー交野市の前はどうだったかというと、それ以前は交野町でした。
1939年(昭和14年)7月1日 -交野町は1939年に交野村と磐船村が合併してできて、その後1955年に星田村と合併して改めて交野町になったようです。そしてその後1971年に交野市に。
北河内郡交野村・磐船村が合併して交野町が発足。
1955年(昭和30年)4月1日
- 北河内郡交野町・星田村が合併して、改めて交野町となる。
1971年(昭和46年)11月3日
- 北河内郡交野町が市制施行して交野市となる。
大阪府下34番目の市。同日北河内郡消滅。
ウィキペディアより引用
と、そのような変遷を経て交野市になって50年が経ちますが、交野市内にはまだいくつか交野町だった頃の名残が残っています。
交野タイムズでは令和になり、市政50周年を迎える交野市にあって今なお残ってくれているそれら交野町の名残や数十年以上前から存在しているであろうモノなどを
交野レガシー
として敬いつつご紹介させて頂きたいと思います。
貴重な当時の歴史を感じるモノが登場するかなと思います。
今回ご紹介させていただく、交野市で交野町発見スポットがこちら!
星田妙見宮

交野市を代表する歴史スポットの1つ、交野市星田9丁目にある星田妙見宮です。

鳥居をくぐってまっすぐ石畳が続くのですが、その途中にそれはあります。
ここにそう、「交野町」ってしっかり書かれているんです。
交野町
水道 消火栓

いつも人が通るところの真ん中に設置されていて、もう何百回、何千回、何万回と踏まれていると思いますが、当時の塗装がまだ残っていたりとかなりコンディションの良い交野町の水道消火栓です。
おそらくまだしっかり機能していると思われます。
交野町だったのは1939年から1971年の期間なので、少なくとも50年以上前からここにあるということになると思います。

50年以上前にここに工事があって、消火栓ができて、それ以来ずっとここにあるというのを想うととても感慨深いです。
交野市内で交野町の名残や交野レガシーなモノを見つけたよ!知っているよ!なんていう方はぜひコメント欄や情報提供でお知らせ頂けましたらありがたいです。
あっそうそう!余談ですが交野タイムズでは交野市内で見つけた謎のモノをオーパーツならぬケーパーツとしてちょいちょいご紹介させて頂いてましてそちらも興味深いと思うのでぜひご覧ください。
↓ケーパーツの記事一覧はこちら↓
記事:ハラダ
取材場所:星田妙見宮(交野市星田9丁目)
ハラダのこれまでの記事はこちら