地域の方々に入浴を招いていた大阿闍梨の中村道游師を祀る社みたいなのができてる!〜交野市星田、室町将軍足利義晴のお墓があるところ〜


(こっち側は妙見東の住宅街方面へ)
星田妙見宮の裏手近くの道沿いにある義晴地蔵寺のところ。


ちなみに義晴地蔵寺とは名前のとおり、室町時代の将軍、足利義晴さんのことで、なぜ交野市に足利義晴に関連するのがあるかというと、義晴さんのお墓があるからだそうな!
義晴地蔵寺の由来

達筆であるのと文字が少しかすれてきているので読むのが難しいところもあるのですが、
要約すると、
・ここに200体の地蔵が土に埋れていた。
・出てきた200体のお地蔵さんを当時の地主さんがこれをひな壇に陳列し「延命地蔵寺」として59年間守られていたところ、その後地主となった方が、雨風にさらされたお地蔵さまたちをより手厚く奉ることができたらと思い、昭和58年に屋根を設けた。
・そして、このお地蔵さまのことを調査した結果、室町時代の足利義晴公のお墓があることが判明しました。
・また、義晴公の奥方が『義晴と、戦で亡くなったたくさんの方の菩提を敵味方分け隔てなくねんごろに弔う』ために厚く信仰されたお地蔵さまであったことが判明し、「義晴地蔵寺」とされたそうです。

足利義晴のお墓だ!ということが判明したと説明書に書かれていましたが、どのような調査をした結果なのか?などの詳細はありませんでした。

ただし、足利義晴公の墓とある他のお地蔵さまとは趣が異なるものがありました。
足利義晴のお墓


そんな義晴地蔵寺の一角に新しく何かできています。
それがこちら!

卍印がある鳥居をくぐってまっすぐ15メートルくらい進むと義晴地蔵寺のお地蔵さんがいらっしゃるところでそれを正面として右側に足利義晴公のお墓があってそして左側にこの木造の新しいのが建っていました。
中村道游師と星田とのかかわり

中村道游師と星田とのかかわり
・中村道游師という方がいらっしゃって錫器製造販売の振興に努力
・明治13年にお父さんと一緒に四天王寺の興隆のために佛跡講を組織されてさらに比叡山で大行を修め、大阿闍梨の法位を贈られた
・明治27年に吹田の玉林禅寺と河内星田の山荘で薬湯を立てて地域の方々へ入浴を招かれていた
・昭和3年に亡くなられたが、永い歳月を経て自ら開かれたこの地に安置された
というようなことが書かれていました。
こちらが建てられたのが日付をみると令和2年2月28日となっていたので、2020年2月と最近できたものでした。
以前、義晴地蔵寺に行ってみた時にはなかったものだったのですが、あまりに自然にここに建っているので最初すっかりわかっておらず、!!なんかできてる!ってなった次第です。

交野に入る前は長くそれ以前は星田村として存在していて、さらにもっと前からもこの地でいろいろ歴史が育まれて現在に至ります。
記事:ハラダ
取材場所:義晴地蔵寺(交野市星田9丁目)
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