大阪まちなみ百景の100選の中に『私市のまちなみ』が入っている!かつ『大阪ミュージアム』登録物でもある!ダブルですやん!
大阪まちなみ百景とは
大阪府では、府内にある美しいまちなみを改めて見つめなおし、守り育てるため、また、国内外から大阪を訪れる人々に感動を与えるような、景観上優れたまちなみなどを広く知ってもらうため、まちなみ百景の選定を行いました。
再発見したり、「一度行ってみたい」、「我がまちもきれいにしたい」という時に、まちなみ百景を参考にして頂ければ幸いです。 〜大阪まちなみ百景のページ(大阪府のページ内)より〜
再発見したり、「一度行ってみたい」、「我がまちもきれいにしたい」という時に、まちなみ百景を参考にして頂ければ幸いです。 〜大阪まちなみ百景のページ(大阪府のページ内)より〜
2006年に府民投票で選定されたようです。
一覧はこちら
2006年(平成18年)のことなので、すでにご存知の方もおられるかと思いますが
『私市のまちなみ』
堂々のランクイン!

↑
画像は大阪府のHP内「大阪まちなみ百景」の一覧ページより
(画像は転載などOKだそうですよ!)
↑同ページ解説欄より
「日本書紀」によると、天皇の后(キサキ)の用事をする役所を私府(キサフ)と言い、また后のための農耕をした人などを私部(キサベ)と称していた。
推古天皇時代から皇室領であった交野の村々は皇后の部民(ベノタミ)であり、私市(キサイチ)という変わった地名の由来は、その中心となった村であることからも「私部内」(キサベノウチ)から訛って私市となったものである。
地域の中央には生駒郡を経由して大和の国とを結ぶ磐船街道が走っており、私市は天野川沿いの中心的な集落となって発展したもので、地域内には今も古い家屋が多く残されている。
推古天皇時代から皇室領であった交野の村々は皇后の部民(ベノタミ)であり、私市(キサイチ)という変わった地名の由来は、その中心となった村であることからも「私部内」(キサベノウチ)から訛って私市となったものである。
地域の中央には生駒郡を経由して大和の国とを結ぶ磐船街道が走っており、私市は天野川沿いの中心的な集落となって発展したもので、地域内には今も古い家屋が多く残されている。
要するにですね
日本書紀によりますと
日本書紀によりますと
キサフ
↓
キサベ
↓
ベノタミ
↓
キサベノウチ
↓
キサイチ
ということのようです。
キサベノウチ
キサベノウチ
キサベノウチ
キサビエノウチ
キサエノウチ
キサイウチ
キサイウチ
キサイチ
キサベノウチ
キサベノウチ
キサベノウチ
キサビエノウチ
キサエノウチ
キサイウチ
キサイウチ
キサイチ
なるほど!
選定されたのは今から15年くらい前ですが今も尚、そのまちなみはもちろん残っており大事にしなくては!ですね。
また、『私市のまちなみ』は
大阪ミュージアムの『登録物』でもあるのです。
↑
『私市のまちなみ』の他にも『獅子窟寺』なども登録されていて何が登録されてるんだろう?って調べてみるのも面白いかもしれません!
地元の貴重な風景、まちなみ、大事にしていきたいですね!
ちなみに、
我ら交野タイムズもその『私市(きさいち)』にて
2月より編集部をかまえることになりまして!
(私市駅前たねtane内)
これからも、交野の魅力を編集部員で伝えていけたらなあ〜と思っています♪
参考:大阪府HP「大阪まちなみ百景」
大阪ミュージアムHP
お菊過去記事はこちら