現在、倉治にある交野市歴史民俗資料展示室(倉治図書館の所です)

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現在、

「第二回企画展 後家が城とその記憶-歴史資料からみる私部城と安見氏」

が開催されています。

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(企画展のポスター)

戦国時代、交野には「私部城(もしくは交野城)」と呼ばれた建物がありました。

そう、こんな城が???

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(これは姫路城)

んなわけない!!(タモリ風に)

残念ながら交野にあったとされる城は戦国時代中期のもので、大阪城や姫路城のような平地に豪華絢爛、でっかい建物を建てる形式の城(戦国時代後期に登場)ではありませんでした。

それ以前は群雄割拠のまさに名前の通り「戦国」だったので、より実戦的なものが城と呼ばれていたんだそうな。

かつて、交野には城があった!
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(私部城があったとされる場所)

そんな群雄割拠の戦国時代にあって、私部城(きさべじょう)は、その当時では珍しい平地に建てられた城でした。

今でも、その一部を見ることができます。

今でも城の土台部分の一部が残っている
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私部城の主が安見氏です。

1570年に記された「原本信長記」によると、三好三人衆に対する織田信長方の城とその主の中に「片野ニ安見右近」と記されているそうです。

このことから、交野市歴史民俗資料展示室の学芸員西川哲矢氏によると、「この時すでに安見右近が河内で一定の統治権を持つ武将として私部城に居城していた」と考えられています。

あまり安見氏と言ってもピンとこない人がいるかもしれませんが、もしかすると「ああこの人かぁ」と思うかもしれません。

それは、

信長の野望にも登場してる
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(説明では「河内守護代」とあるが、正式な守護代であったかはわからない)

そう。

コーエーテクモス社の「信長の野望」に登場する「安見直政」という人物。

「この人が私部城の主」と言いたのですが、実は直正という人物はいなかったのではいう説もあり、安見氏についてはまだわからない部分が多く残されています。

私部城と安見氏についてはまだまだ調べなくてはならないことが多いですが、これまでに分かっていることを展示報告しているのが歴史民俗資料展示室での今回の企画展です。

行けば、私部城と安見氏のことがわかる!
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企画展の様子1
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(わかりやすい解説文が掲示されています)

私部城(きさべじょう)っていう名前は知ってるけど、その歴史については知らんっ!


っていうヒトの方がきっと多いと思うので、この機会にぜひ知見を広めてみてはいかがでしょうか。

今回の企画展では、私部城が、別名「後家が城」と呼ばれた時期に着目し、歴史的文献や地元に残された資料を基に私部城、そして安見氏がどのように語られているかを多角的視点から検討しようとしています。

先の右近が、平蜘蛛の茶釜(天下の大名物で、その価値は一国に匹敵すると言われていたみたいです)と共に爆死したとされる松永久秀によって誘殺されると、その妻(名前は不詳)が私部城をしばらくの間守ったとされ、後世の歴史書に「後家が城」と書かれたことからそうした別名が城についたとされます。

まさに、交野の妙林尼、井伊直虎(ちょっと違うけど)!!

交野が戦国時代と歴史的にどのように関わっていたのかを是非知ってください。 第二回企画展 「後家が城とその記憶-歴史資料からみる私部城と安見氏」は、

交野市歴史民俗資料展示室

12月24日まで

開催されています。

展示室にはスタッフさんもいらっしゃることと思うので、資料をゆっくり観つついろいろ質問してみるのもいいかもしれません。


今回の記事掲載にあたり、取材や記事内容、掲載写真などについて、I Love Katanoさんにお世話になりました。
I Love Katanoさんいつもありがとうございます!


ハラダ@交野タイムズ