【カタノ弁当】〜お弁当で綴る交野 vol.02〜巨岩弁当
覚えておられますかーー!
新コーナーのことを!
その名も・・・・
カタノ弁当!
お弁当で交野を表現!?
交野を綴っていきたいと思います。
第二回目・・・・
今回も古文化研究会さん発行の交野カルタ登場!
↓下の画像クリックで過去交野かるた記事へジャンプ
![写真 2016-05-18 6 56 38](https://livedoor.blogimg.jp/katano_times-editorial_room/imgs/a/7/a771d46d-s.jpg)
この交野カルタの1枚から
今回お弁当に抜擢された1枚は…
秀吉の 力もおよばぬ 船形巨岩
![image](https://livedoor.blogimg.jp/katano_times-editorial_room/imgs/f/0/f0023385-s.jpg)
船形巨岩弁当〜〜〜!
『秀吉の 力もおよばぬ 船形巨岩』
カルタを参照し、
巨岩を・・・・
![2016-06-03-06-46-04](https://livedoor.blogimg.jp/katano_times-editorial_room/imgs/3/4/34ead32f-s.jpg)
海苔で・・・・・・
巨岩を・・・・
![2016-06-03-06-47-04](https://livedoor.blogimg.jp/katano_times-editorial_room/imgs/8/2/82041b08-s.jpg)
海苔で・・・・・・
(2回目)
巨岩キャラ弁は、予想以上に簡単!
朝の忙しいお弁当づくり、ちゃっちゃと出来ちゃいます!
ちなみに、巨岩!
交野には巨岩が多いと思いませんか?
引き続き巨岩調査したいと思います。
====
天の川の上流の磐船峡は、数多くの岩が露出している。中でも磐船神社の御神体といわれる船形の巨岩は、かってこの地に勢力を張っていた肩野物部氏(かたのもののべし)が「饒速日命(にぎはやひのみこと)が渡来したときに用いた磐樟船」として崇拝したといわれています。
こうした降臨伝説を物語るように、平安時代から交野の村々では、海の守護神である住吉三神を祭神とする氏神信仰が盛んであった。
巨岩は横18M、高さ12Mもあり、神殿に覆い被さるように大船の舳先(へさき)を南に向けて座しています。
時代は下り、豊臣秀吉が大阪城を築くにあたって、諸侯を督励して巨岩を運ばせたことはよく知られている。
その際、加藤清正が石屋に命じて岩を割ろうとしたのですが、石から血が流れ出した為、思いとどまったといわれている。
神の宿る巨岩にまつわる説話としても、よくできたストーリーではないでしょうか。
(かたの広報より)
====
石から血が!!!
みなさまの交野弁の投稿お待ちしております!
(情報提供のコーナーからご応募ください)
![写真 2016-05-18 6 56 38](https://livedoor.blogimg.jp/katano_times-editorial_room/imgs/a/7/a771d46d-s.jpg)
この交野カルタの1枚から
今回お弁当に抜擢された1枚は…
秀吉の 力もおよばぬ 船形巨岩
![image](https://livedoor.blogimg.jp/katano_times-editorial_room/imgs/f/0/f0023385-s.jpg)
船形巨岩弁当〜〜〜!
『秀吉の 力もおよばぬ 船形巨岩』
カルタを参照し、
巨岩を・・・・
![2016-06-03-06-46-04](https://livedoor.blogimg.jp/katano_times-editorial_room/imgs/3/4/34ead32f-s.jpg)
海苔で・・・・・・
巨岩を・・・・
![2016-06-03-06-47-04](https://livedoor.blogimg.jp/katano_times-editorial_room/imgs/8/2/82041b08-s.jpg)
海苔で・・・・・・
(2回目)
巨岩キャラ弁は、予想以上に簡単!
朝の忙しいお弁当づくり、ちゃっちゃと出来ちゃいます!
ちなみに、巨岩!
交野には巨岩が多いと思いませんか?
引き続き巨岩調査したいと思います。
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天の川の上流の磐船峡は、数多くの岩が露出している。中でも磐船神社の御神体といわれる船形の巨岩は、かってこの地に勢力を張っていた肩野物部氏(かたのもののべし)が「饒速日命(にぎはやひのみこと)が渡来したときに用いた磐樟船」として崇拝したといわれています。
こうした降臨伝説を物語るように、平安時代から交野の村々では、海の守護神である住吉三神を祭神とする氏神信仰が盛んであった。
巨岩は横18M、高さ12Mもあり、神殿に覆い被さるように大船の舳先(へさき)を南に向けて座しています。
時代は下り、豊臣秀吉が大阪城を築くにあたって、諸侯を督励して巨岩を運ばせたことはよく知られている。
その際、加藤清正が石屋に命じて岩を割ろうとしたのですが、石から血が流れ出した為、思いとどまったといわれている。
神の宿る巨岩にまつわる説話としても、よくできたストーリーではないでしょうか。
(かたの広報より)
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石から血が!!!
みなさまの交野弁の投稿お待ちしております!
(情報提供のコーナーからご応募ください)