京都と同じ『四条通り』が交野市にもある!~かつて交野のまちも碁盤の目みたいに道がなってたみたい~

夏の風物詩「祇園祭」で、鉾や山が建ったりする、京都市の繁華街の通りが有名ですが、
実は、

交野市にも、

(ちなみに、この四条通りの石碑がある横の滝のモニュメントのところには、金魚がいます)
四条通りがある!

場所はこちら

交野市駅の北側を通る道

ここが四条通と呼ばれた道なんだそうです。

なぜ、四条通りと呼ばれていたのか調べてみた!
その昔、条里制(じょうりせい)というものがありました。
条里制は、日本において、古代から中世後期にかけて行われた土地区画(管理)制度。
ある範囲の土地を、ある一定等間隔で直角に交わる平行線により正方形に区分する、という特徴があったそう。
交野周辺の稲田は弥生時代から開かれており、歴史の教科書にも出てくる大化の改新の時、天野川沿岸の全域に条里制が行われたそうです。
その地域は、南は私市の天田神社あたりから、北は枚方市駅付近までの間に、一条から十条まであったのだという。
一条

天田神社から西へ行った、西念寺さんのところ。
五条

郡津のところです。
交野も昔は、京都のように、碁盤の目のような形をしていたんですね!
一条

天田神社から西へ行った、西念寺さんのところ。
五条

郡津のところです。
交野も昔は、京都のように、碁盤の目のような形をしていたんですね!
交野タイムズ@ムラカミ