なんてことだ!『五芒星の中心』には交野市がある!~桓武天皇は交野市出身かもしれない~

交野の山の話で盛り上がったりもします。
交野山(こうのさん)には昔、岩倉開元寺っていうお寺があって、もしかしたらその名残?みたいなのが石仏の道沿いにあるんですけど…
とか
くろんど池に行く山道の中にスーパーマリオが使ってそうなヘンテコなハウスがあるんですけど…あれ何ですか?
とか
ちょっと前に大学の考古学の教授に、「邪馬台国の女王卑弥呼って女性ですよね。もしかして…七夕伝説の織姫と関係があるのでは?」って聞いてみたら、「あぁ、それは無いですね!」って一蹴されたよ
などなど他愛もない話をしてみたり。
地元トークって盛り上がる

あっ!そーいえば、前に交野のことをインターネットで調べてたら、どこかの有名な史跡を結んだら五芒星になってその中心には交野がある!っていうのをみたことがあるよ!という話がありました。
たしか、このウェブサイトですよ(スマホでネット検索)。
古代日本史への情熱
(画像クリックでウェブサイトへ)
古代日本史への情熱さんのウェブサイトにはGoogle Mapにそれぞれの史跡にピンを打ってそれを線で結んだりして日本史の謎に迫ったりするのがあるんですが、そこにこんなのが出てきました。
-五芒星の写真は以下、古代日本史への情熱より引用
五芒星


この五芒星の中の五角形に何があるのかわかりませんでした。今みますと、この五角形の中に交野市がスッポリ納まっています。その他の市は少しずつ食い込んでいますが、交野市だけは全部収まっています。桓武五芒星を囲んでいる大きな五角形は、例の伊勢神宮・内宮、元伊勢、伊弉諾神宮、伊吹山、熊野本宮大社の五芒星の中の五角形です。
と古代日本史への情熱さんが仰っているんですが、この五芒星…
何かほんとうに意味があるのかもしれない!
なんとなく、桓武天皇がキーワードなのかもしれないということで、桓武天皇について調べてみた。
桓武天皇
(写真はGoogle画像検索から引用)
生年:737年
没年:806年
■主な出来事
・784年:長岡京へ遷都
・791年:征夷大将軍の坂上田村麻呂に蝦夷討伐を指示
・794年:平安京へ遷都
・794年:続日本紀編纂
・804年:空海・最澄を唐に派遣する(遣唐使)
桓武天皇といえば、平安京などで有名な天皇ですが、実は桓武天皇は交野と縁があるんだそうな。
例えば、たまたま家にあった歴史の本にこんな記載がありました。


桓武天皇といえば、平安京などで有名な天皇ですが、実は桓武天皇は交野と縁があるんだそうな。
例えば、たまたま家にあった歴史の本にこんな記載がありました。
一冊でわかる古代史

197ページ

藤原京の真南には「聖なるライン」が下がり、天武・持統陵をはじめとして、文武陵や高松塚古墳、キトラ古墳などの天武の血統と目される古墳が並ぶ。さらにその南には、天武が道教での理想郷と考えていた「神仙郷」としての吉野がある。桓武も同様な考えにもとづいて、長岡京に新都城を建設したはずである。桓武にとっての「神仙郷」とは、長岡京の真南にそびえる「交野山」である。-一冊でわかる古代史197ページより引用
ゴッドファーザー交野さんのウェブサイト「星のまち交野」にも桓武天皇と交野についての記述があったりもします。
どうやら桓武天皇のお母さん(高野新笠さん)は百済の都慕王(ともおう)の末裔であるともいわれてて、交野付近は百済からの渡来人の移住民が多かった場所でもあって、桓武天皇のお母さんこと高野新笠(たかののにいがさ)さんは交野で生まれたという説もあるんだそうな。
・桓武天皇は交野で生まれたかもしれない説
・桓武天皇は交野に狩猟に十数回来ている
・枚方市の交野天神社で桓武天皇がお父さんである光仁天皇を祀った
っていうのもあって、交野が原(今の交野市と枚方市の一部)と桓武天皇はけっこう密接なつながりがあったようです。
と桓武天皇と交野については所説あるのでここまでとして、さっきの五芒星の話です。

古代日本史への情熱には、もっとどでかい五芒星が掲載されてました。
ウェブサイトによるともともとこの伊吹山、伊勢神宮、熊野本宮大社などを結ぶ五芒星の中心には何があるのか?と気になって交野に行き着いたそうで、ここまでスパーっと五芒星を作られると、
何かしら日本の歴史には、交野について語られていない大きな謎があるのかもしれない!
なんていうロマンが溢れてきます。
五芒星をインターネットで調べていたら、こんなタイトルの記事もありました。
たまたまなのか、意図されたものなのか…
信じるか信じないかはアナタ次第です!
と桓武天皇と交野については所説あるのでここまでとして、さっきの五芒星の話です。
もっとすごい五芒星できてる

古代日本史への情熱には、もっとどでかい五芒星が掲載されてました。
ウェブサイトによるともともとこの伊吹山、伊勢神宮、熊野本宮大社などを結ぶ五芒星の中心には何があるのか?と気になって交野に行き着いたそうで、ここまでスパーっと五芒星を作られると、
何かしら日本の歴史には、交野について語られていない大きな謎があるのかもしれない!
なんていうロマンが溢れてきます。
五芒星をインターネットで調べていたら、こんなタイトルの記事もありました。
(画像クリックでウェブサイトへ)
たまたまなのか、意図されたものなのか…
信じるか信じないかはアナタ次第です!