Yahooニュースで難読地名に交野市の『私市や郡津』が紹介されてる!~そしてその地名の由来とは!?~
大阪の難読地名を楽しむ第3弾
-「私市」「点野」「大垣内町」が全問正解なら大阪人!?
(画像クリックでyahooニュースの記事へ)
記事元はThe Pageっていうyahooに情報提供しているウェブサイトの大阪の難読地名楽しむシリーズというコーナーで、京阪電車沿線の交野、枚方から寝屋川、門真、守口市のこれなんて読むねん!っていう地名が紹介されています。
交野市からは次の地名がランクインされています。
私市
郡津
の2つです。
交野に住んでいるヒトにとっては超メジャーな名前ですが、初めてみるヒトにとっては、「しいち?」、「わたくしし?」とか「ぐんず?」とか言われてしまいそうです。
正しくは、
きさいち
こうづ
なんですが、読み方が難しいです。
すでにご存知のヒトもいらっしゃると思うのですが、何でまたこんな難しい地名なのかというと、
交野市(かたのし)は、古来、渡来人の人達が大陸からやってきてその技術を伝えたことから始まり、その後は時の皇后さまの直轄地だったり、昔の役場があったりと昔から脈々と受け継がれてきた名前に基づく地名が多いからなんです。
yahooニュースの記事にも少し言及されているのですが、
★私市(きさいち)の名前の由来
(画像クリックで私市駅関連記事へ)
皇后さまの用事をする役所を私府(きさふ)と言って、皇后さまのためにその土地を管理したり畑を耕したりしたヒトを私部(きさいべ)と呼んでいたそうです。
日本書紀などによると推古天皇の時代から交野は皇室の領地だったので地名に「私」が付くんだそうです。
なので、皇室の領地=私部。
その中でも中心となってた村が私部内(きさべのうち)、私部内が訛って「私市(きさいち)」になったという説があります。
★郡津(こうづ)の名前の由来
(画像クリックで郡津駅関連記事へ)
大化の改新(645 年)以降のある時期まで、全国に国・郡・里制が設けられて、交野は当時、河内国交野郡(かたのぐん)と呼ばれていたそうです。
その役所(郡衙:ぐんが)があった場所が今の郡津周辺だったそうです。
そういったことから、交野郡の郡衙にできた村ということで、「郡門(こうど)村」ともともとは記載されていたみたいです。
「こうど」が訛って、「こうづ」になったらしく、江戸時代に大阪町奉行によって「こうど→こうづ」、つまり「郡津」と名付けられたそうです。
ちなみに、yahooニュースの記事中に私市についてこんな記載がありました。
京阪沿線の子どもたちは遠足やキャンプなどで通ううちに、成長のあかしであるかのように、「きさいち」と体に刻んで覚えていく
きっと周辺地域のヒト達はそーそーそー!ってなったりするんじゃーないでしょうか。
何となく、言わんとしていることが分かる気がします。
さらに余談ですが、大学は吹田だったのですが、入学式の時、大阪府堺市出身とか大阪南部の友達ができて、
「どこ出身なん?」
「えっ!堺市!」
「同じく大阪やで。大阪府の交野市!かたのし!!」
「へっ?どこですのん?」
「・・・。」
「枚方市知ってる?」
「知ってるよ。ひらぱーあるところやん!」
「寝屋川市知ってる?」
「知ってる!枚方市の隣やね!」
「交野市は枚方市と寝屋川市と隣町やねんけど…」
「えっ!…」
「交通の”交”に野原の”野”って書くねんけど…知らん?」
「あっ!こうの市!」
「やっ…だから、その…それで、カタノって読むねん」
っていう会話を何度かした記憶があります。
住んでいる地域の地名にはいろいろと意味があるようで、また機会あればポリポリと紹介させて頂きます。
東大阪市の会社に勤めてますが堺市から通ってる社員に自分が交野市から通ってると伝えると「あー、枚方市?」「いや、交野市やで」「交野って枚方?」みたいなやりとりを(-_-;)
どうやら大阪の南の方には交野市の知名度はかなり低いみたいです(笑)