松塚に『交野少将』にまつわる風葉和歌集の碑がある!~交野市はその昔、交野が原と呼ばれたリゾート地!~

何かの碑のようです。

かつきゆる うき身の沫と成ぬとも 誰かはとはん 跡の白波

風葉和歌集っていうのに載っている和歌のようです。
何となく恋を連想する内容で、意味はどんなのかなと思って、モニュメントの下を観ると…。
説明書きがあった!

説明書きによると、平安時代。交野郡司(今のお役所の役人さん)の娘さんと殿中納言さんとの悲恋の歌なんだそうで、その舞台は、天の川。
そして、ここ松塚の近くでのことという伝説があるとのこと。

交野市は平安時代の頃。交野が原と言われる当時の貴族のリゾート地になってたようで、この地で平安貴族の思い出なんかが、和歌集っていうカタチで今の時代にも伝わっているみたいです。
有名な歌でいうと、
またや見む 交野のみ野の桜狩り 花の雪散る 春のあけぼの
っていうのがあって、これは新古今和歌集で藤原成俊さんが詠まれたものです。
(画像クリックで藤原成俊さんのことをケネディ駐日大使が呟いてた記事へ)
【風葉和歌集(ふうようわかしゅう)】
文永八年(1271)。鎌倉時代後期に後嵯峨院の皇后/大宮院(西園寺姞子)の命令によって選進された和歌集なんだそうで、日本最初の歌物語集とも言われているんだそうです。
-風葉和歌集@wikipedia
歌の数は1400首。
wikipediaでいろいろ調べてみると、この松塚の石碑に登場する殿中納言。
なんと、その名前が、
交野少将
という名前なんだそうです。
さらに!
紫式部が『源氏物語』を執筆し、光源氏を登場させるまでは「交野の少将」が物語の美男子を意味する代名詞的な存在であったことが『落窪物語』や『枕草子』の記述より示唆される。
とwikipediaに記載があって、要するに当時のイケメン貴族のイメージ像ということになるのかと思います。
1つの石碑から当時の交野が原の情景なんかを想いながら、今と昔を考えてみるのも興味深いです。
交野市内にはまだ他にも和歌集の石碑があったりするので、また見つけたらご紹介させて頂きます。
【周囲のようすはこんな感じ】
まっすぐ行くと新設される交野病院の方へ

こっち側は、京阪電車の郡津駅前方面へ












