天の川沿岸が開発され、稲作がさかんに!~カタノの歴史No.12~

(写真は倉治図書館前の池のススキ)
それっぽい交野の写真とともに交野市の歴史を紹介するカタノの歴史。
今回は、弥生時代後期の話です。
紀元290年
肩野物部氏の祖伊香色雄命の子多弁宿禰(タベノスクネ)およびその一族、天野川沿岸を開発し、この地方稲作さかんとなる(神代系図・物部連系図)
(交野市史:交野町略史復刻編より)
(交野市史:交野町略史復刻編より)
弥生時代の後半あたりから交野市の歴史上キーマンとなる一族が奈良の方からやってきました。
それが物部氏の一族「肩野物部氏」です。
彼らが交野に移り住んでから、何かとこの地の発展が進んできたようで、紀元290年にはどうやら天の川の開発が進んだみたいです。
稲作が盛んになるということは、そこに住む人が定住する土台となることから、この時期あたりからきっと交野の人口は増えていったんじゃーないでしょうか。
【交野の歴史】
100万年前~現代までの交野の歴史をそれっぽい地元で撮った写真と共に綴っていきます。
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