
(写真:倉治の田んぼと住宅地の間の溝)
紀元280年
この頃、肩野物部氏の祖先、伊香色雄命 (いかしこおのみこと)大和から磐船谷を下って天の川地方に入り、枚方伊加賀に住んで、この沿岸に農耕文化を広める(『大日本地名辞書』『先代旧古事記』)
(交野市史:交野町略史復刻編より)
(交野市史:交野町略史復刻編より)
今後の交野の歴史を語るうえで重要な一族が、この頃やってきたようです。
物部氏という一族
wikipediaによると、物部氏は、河内国の哮峰(現 大阪府交野市か)に神武天皇よりも前に天磐船により先に大和入りをした饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祖先と伝えられる一族ということで、その後の交野の歴史影響を与えたヒト達です。
天孫降臨の地。磐船神社の近くにある哮峰(たけるがみね)にやってきた天孫の一族、物部氏が交野にやってきたっていうことは、今でいうところの大企業が地元に本社を構えた的なインパクトがあったことでしょう。
天の川から広がる肥沃な大地だった交野が原。
桜の名所。
皇族の狩場(リゾート地)。
七夕伝説。
と語り継がれるのはもう少し、先の話のようです。
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