そもそも七夕って何ぞや?~交野市目線で七夕のルーツを探ってみた~
7/7は七夕。
この事実は、日本国民ほぼほぼ全員が知っていることなんですが、じゃー七夕ってそもそもなんじゃらほいな!ということをちょっと調べてみました。
まずは、wikipediaから!
七夕(たなばた、しちせき)は、中国、台湾、日本、韓国、ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。五節句の一つにも数えられる~~
元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉である。
そのほか、牽牛織女の二星がそれぞれ耕作および蚕織をつかさどるため、それらにちなんだ種物(たなつもの)・機物(はたつもの)という語が「たなばた」の由来とする江戸期の文献もある~~
>>詳しくはwikipediaの七夕へ
わかるようで分かりづらいので、もそっと簡単にいうとですね。
中国大陸からやってきた奇跡の祭り!
ってことでしょう。
-交野市と七夕の関係-
奈良時代、大陸からスキルフルな人材が日本にやってきまして、それがいわゆる渡来人。
彼らはいろんな技術を日本にもたらしたようで、ここ交野の地(当時は、交野が原-交野市と枚方市の津田あたりの一部地域含む-)に定住し、機織りの技術をもって大いに栄えたんだそうな。
たぶん。こんな感じ!

「渡来人の機織技術」がベストマッチして、当時、氏神様を祀っていた神社の祭神を「天棚機比売大神(あまのたなばたひめのおおかみ)」=たなばた姫とし祭ったことが、機物神社の七夕の起こりのようです。
機物神社

(日本で唯一、織姫を祀る神社です)
そんでもって、当時、流行ってた「七夕伝説」。
時は巡って、平安時代。
交野の地は、平安貴族のリゾート地になってまして、例えば、新古今和歌集で藤原俊成さんが「またや見む 交野のみ野の桜狩り 花の雪散る 春のあけぼの」ってポエムした如く、桜でも有名だったみたいなんですが、その頃、中国からきた七夕伝説にちょっとしたムーブメントがあったらしく、リゾートで祭り!っていうことで、たぶん、七夕祭りが開催されたんだと思います!
というわけで、長々と結局何が言いたかったのかというと、
七夕伝説は交野市から始まった!
っていうことです

七夕祭りっていうと、仙台のが超有名ですが、ノンノンノーン!
仙台の皆さんには誠に申し訳ないのですが、そのお祭りのスタートは、伊達政宗さんのころですからね!
(前に仙台と交野の七夕祭りを比較したことがありまして、その記事です)
交野市は、平安時代からのたーなーばーた!
七夕!
これだけは、絶対にぜーったいに譲れんのですよ!
日本の皆さん!
七夕は交野市が発祥の地ですからね!
-この記事は、交野タイムズが巷に拡散してる七夕と交野にまつわる情報を独自に超ザックバランにまとめて、超簡潔にお伝えしているものです-