紀元前100年前の交野。弥生時代の中期末~カタノの歴史No.10~

紀元100年
交野町星田ぼうりょうに弥生中期時代文化あらわれ、この付近からはじめて稲作おこなわれる(昭和31年交野考古学会発掘調査)
(交野市史:交野町略史復刻編より)
星田ぼうりょう遺跡とは、JR学研都市線の天の川鉄橋近くに広がる田んぼの中にある遺跡で、ここからは石鏃や土器片なんかが出土されている市内で石器を有する最古の弥生時代の遺跡なんだそうです。
旧石器時代~縄文時代の後にあたる時代を弥生時代(紀元前3世紀中頃~紀元後3世紀中頃あたりまで)と言います。
縄文時代のイメージは、狩猟。一方、弥生時代のイメージは稲作/定住生活っていう感じでしょうか。
大陸から稲作が伝わり、本格的な耕作が進み、定住生活を送るようになったというのが縄文と弥生文化の違いと言われています。
ヒトが定住しだすと争いごとも多くなるようで、領地を巡り戦も多かったようです。交野市内では発掘されていないと思いますが、弥生時代全盛期になってくると戦ってケガしたヒトのホネが発掘されたりしいています。
縄文人と弥生人ではヒトの骨格も違ったりしていて(縄文人はエラはったごっつい感じ)、人種もちょっと違うようで、ややもすると、稲作文化をもたらした大陸からやってきた弥生人と日本土着の縄文人の間で何かあったのかもしれません。

ちなみに弥生時代の遺跡跡も交野市内には多く、例えば、私部城址(戦国時代のお城)からは稲刈りなんかに使用される石包丁なんかも出土しています。
(画像クリックでカタノの歴史一覧へ)