私部の古寺『無量光寺』が修復工事中!~交野かるたでも出てくる有名なお寺~
無量光寺
が境内及び本堂修復工事中です。

門の前にドカーンと工事中の看板が立ってます。
工事件名は、
無量光寺境内整備第1期本堂他修復工事
工事件名は、
とオール漢字になってる!


かなり大々的に工事されていて、しかも第1期の工事ということで、今後は第2期とか続いていくのでしょうか。
気になるとことです。
【無量光寺について】
ちなみにここ、無量光寺の設立は何時ごろかはハッキリとしないそうなのですが、もともとは天台宗であったことから平安時代か鎌倉時代あたりに建立されたお寺なんだそうです。
室町時代になって赤松満祐が時の将軍、足利義教を暗殺した大事件「嘉吉の乱(1441年)」の際、一度焼けたそうで、その後、半世紀ほどそのままになっていたところを足利家の家臣、星野刑部左衛門親忠さんというヒトがその晩年を過ごす為に、焼けてた寺を再興して天台宗の道場にされたみたいです(1494年)。
尚、跡継ぎの星野刑部左衛門親忠さんの息子、能末さんというヒトが蓮如聖人が現役バリバリで、当時盛んだった浄土真宗の教えを受けて、それまで天台宗だった無量光寺は、浄土真宗のお寺になったんだそうです。

織田信長が大阪の石山本願寺(当時の座主は顕如)を攻めた際に、無量光寺からも門徒宗が戦いに参加し、その時、無量光寺のすぐ近くにある河内の堅城、私部城の城主だった安見右近は天王寺あたりで門徒宗と交戦し大敗。
それ以後、安見右近と無量光寺はしばらくちょっと仲が悪かったそうです。
ちなみに、ここ無量光寺は、交野かるたでも詠まれている由緒あるお寺です。
交野かるた『く』~過去と今をつなぐ交野かるたシリーズ。”く”は軍書読み。無量光寺でやってた~
室町時代になって赤松満祐が時の将軍、足利義教を暗殺した大事件「嘉吉の乱(1441年)」の際、一度焼けたそうで、その後、半世紀ほどそのままになっていたところを足利家の家臣、星野刑部左衛門親忠さんというヒトがその晩年を過ごす為に、焼けてた寺を再興して天台宗の道場にされたみたいです(1494年)。
尚、跡継ぎの星野刑部左衛門親忠さんの息子、能末さんというヒトが蓮如聖人が現役バリバリで、当時盛んだった浄土真宗の教えを受けて、それまで天台宗だった無量光寺は、浄土真宗のお寺になったんだそうです。

織田信長が大阪の石山本願寺(当時の座主は顕如)を攻めた際に、無量光寺からも門徒宗が戦いに参加し、その時、無量光寺のすぐ近くにある河内の堅城、私部城の城主だった安見右近は天王寺あたりで門徒宗と交戦し大敗。
それ以後、安見右近と無量光寺はしばらくちょっと仲が悪かったそうです。
ちなみに、ここ無量光寺は、交野かるたでも詠まれている由緒あるお寺です。
