パワースポット『星田の妙見宮』に隕石が落下してたみたい!~空海が呪文を唱えたら隕石が落下した降星伝説~
通称、星田の妙見さん。
ここは、平安時代(810年~824年)にあの有名な、空海(弘法大師)が私市山中にある獅子窟寺で修行していた際、「呪文を唱えると空から星が降ってきて、交野市内の3か所(妙見山と光林寺、星の森)にそれが落ちた」という八丁三所伝説の舞台の1つとなっている『星のまち交野』の代表的なスポットです。
妙見さんの由来
(正面鳥居をくぐったところにあります)
松塚公園に隕石が落下したのかもしれない?【情報提供】aceさんすぐ近くの妙見河原(一部、妙見宮の境内)ではこのシーズン400本ほどの桜が咲き乱れ、大阪みどりの百選や全国お花見1000景にも選ばれてる桜の名所がある一方、神社の中は樹木が多く違った趣きがあっていかにも神聖な場所!っていう感じがします。
そんな星田妙見宮を歩いてみるとこんな看板がありました。
八丁三所たる星降伝説について書かれていました。読んでみると、
隕石落下の場所としては日本で二番目に古い
と記載されているじゃーないですか!
そして、どんな感じで隕石が落下したのかということも忠実に再現されていました。
それがこちら!
816年の降星で山の大半が吹き飛ばされたそうです。
看板にはここ星田妙見宮がある妙見山は「馬蹄型になっている」と表記されてまして、ちょっと気になったんで、Google Mapで観てみました。
見ようによっては、馬蹄型にも見えますし、なんとなく山の真ん中が凹んでいるようにも見えます。
ただ、とにもかくにもここに隕石が落ちたのはどうやら事実のようで、妙見宮のご神体は「岩」でそれも隕石の一部なんだそうです。
今回、星田妙見宮の取材をしに行ったのですが、山頂に辿り着く前にいろいろとネタの宝庫で、とても1回の記事では伝えきれなかったので、またポツリポツリとお知らせできればなぁと思います!
【星田妙見宮関連記事】
交野タイムズ2014年1回目の記事がこちら!交野vs枚方の舞台となりました。
妙見宮と枚方市にある交野天神社(ゆるキャラみっけちゃんの故郷)で戦いました。
↓↓↓ ↓↓↓
交野vs枚方 4戦目~交野を取り戻せ!『神社』対決!~
【隕石関連記事】
最近、松塚公園にもどうやら隕石か何かが落ちたようで現地に行ってきた記事はこちら!
↓↓↓ ↓↓↓
パワースポット
そんな星田妙見宮を歩いてみるとこんな看板がありました。
鳥居から200mくらいのところ
木のところに看板があります。
隕石が落ちた!
八丁三所たる星降伝説について書かれていました。読んでみると、
なんと!この場所は、
隕石落下の場所としては日本で二番目に古い
と記載されているじゃーないですか!
そして、どんな感じで隕石が落下したのかということも忠実に再現されていました。
それがこちら!
こーなりました。
絵が超ラフだ!
816年の降星で山の大半が吹き飛ばされたそうです。
看板にはここ星田妙見宮がある妙見山は「馬蹄型になっている」と表記されてまして、ちょっと気になったんで、Google Mapで観てみました。
良く分からない…。
(Google Mapのキャプチャです)
見ようによっては、馬蹄型にも見えますし、なんとなく山の真ん中が凹んでいるようにも見えます。
ただ、とにもかくにもここに隕石が落ちたのはどうやら事実のようで、妙見宮のご神体は「岩」でそれも隕石の一部なんだそうです。
今回、星田妙見宮の取材をしに行ったのですが、山頂に辿り着く前にいろいろとネタの宝庫で、とても1回の記事では伝えきれなかったので、またポツリポツリとお知らせできればなぁと思います!
【星田妙見宮関連記事】
交野タイムズ2014年1回目の記事がこちら!交野vs枚方の舞台となりました。
妙見宮と枚方市にある交野天神社(ゆるキャラみっけちゃんの故郷)で戦いました。
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交野vs枚方 4戦目~交野を取り戻せ!『神社』対決!~
【隕石関連記事】
最近、松塚公園にもどうやら隕石か何かが落ちたようで現地に行ってきた記事はこちら!
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咲前神社 https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.sakisaki.net%2Findex.html
( 咲前神社由緒 )https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.sakisaki.net%2Fyuisho.html
《 安閑天皇元年(534)6月、初の申の日に神石「雷斧石(らいふいし)」三柱の御出現を仰ぎ、時の朝廷に上奏したところ、奉幣使、磯部朝臣小倉季氏と共に高椅貞長、峯越旧敬を伴い上毛野国に御下向があり、抜鉾(ぬきほこ)大神「健経津主命」をお祀りし、社を建てられた。》
『安閑天皇元年(534年)6月、初の申の日に、神石「雷斧石」(らいふいし)に神が出現したため朝廷に上奏し、社殿を建てて抜鉾大神(経津主神)を祀ったのが創建の由来。』
☆彡 コメットハンターの木内鶴彦氏が推測した、西暦535年説とは、半年~1年の誤差です。
『 私は交野が原に描かれた「星空」、つまり交野天神社、機物神社、天野川の位置関係を計算しましたが、そこに描かれていたのは西暦535年の星空であったことも知りました。 』
http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/soranokioku02.htm
第27代 安閑天皇 勾金橋宮(まがりのかなはしのみや:金橋神社 奈良県橿原市曲川町)
https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs?M=JU&JUR=https%3A%2F%2Fnarayado.info%2Fkikimanyo%2Fkanahashi-shrine.html
広国神社(堺市東区日置荘原寺町75-1)主祭神 廣國押武金日命(安閑天皇)https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.hagi10.sakura.ne.jp%2Fhirokuni%2Fhirokuni.html
安閑天皇陵古墳(羽曳野市古市5丁目)
https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs?M=JU&JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.habikino.lg.jp%2Fsoshiki%2Fsekaiisan_bunkazai%2Fbunkazai%2Fbunkazai%2Fiseki_shokai%2Fkofun_koki%2F2394.html