京阪電車の踏切のところにその昔、『東高野街道』だったことを示す看板がある!~こうづ文化ゾーンのご案内~
こうづ文化ゾーンご案内

~東高野街道~
ひとまず高野街道ってなんじゃらほいな?っていうヒトのために簡単に言いますと、
高野街道というのは、その昔、京都・大阪⇔高野山を参拝する人々のために造られた、今でいう国道みいたいな道路のことを言いまして、当時は、道を歩き休憩したり、泊まったりとかなり大変な思いをしながら聖地高野山を目指していたようです。
いくつかルートがありまして、メインの高野街道、東高野街道、中高野街道、下高野街道、西高野街道と5つあったそうです。
茶色の道が東高野街道

そのうち東高野街道がここ交野市郡津エリアを通っていたようで、看板に描かれた絵を観ると昔(平安時代頃?)には、このあたりに郡津茶屋なる休憩できる今でいうカフェみたいなんがあったようです。
wikipediaによると八幡(京都府八幡市)で京街道 (大坂街道) と別れ、河内国の東部を通り、長野(大阪府河内長野市)で西高野街道と合流し、 以南は高野街道として紀見峠、橋本、高野山へ至るって書かれていました。もうちょっと調べてみると、石清水八幡宮が東高野街道のスタート地点で大阪府下最長の縦貫道路だそうです!
東高野街道は郡津駅を通り、神出来(かんでら)交差点を抜け、星田駅を突っ切って寝屋川方面へ続いていくみたいです。
(この地図は、大阪府のウェブサイト「歴史街道ウォーキングマップ」からお借りしました)
当時は皆、歩いてここを通って、高野山を目指していたんだなぁなんてシミジミ思っていると、

京阪電車交野線に走るトーマス列車のパーシー号が目の前を通っていきました。
東高野街道は郡津駅を通り、神出来(かんでら)交差点を抜け、星田駅を突っ切って寝屋川方面へ続いていくみたいです。
(この地図は、大阪府のウェブサイト「歴史街道ウォーキングマップ」からお借りしました)
当時は皆、歩いてここを通って、高野山を目指していたんだなぁなんてシミジミ思っていると、
パーシー号

京阪電車交野線に走るトーマス列車のパーシー号が目の前を通っていきました。
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