交野郷土史かるた_3
交野かるたってご存知ですか。
小学校や交野市文化祭といったところで、ややもすれば見たことがあるもしくは実際にやったことがあるという方もいるかもしれませんね。

この交野郷土史かるたの内訳は、

合計45枚

風景画
→29枚
人物
→8枚
架空
→8枚

で構成されていて、かるたの絵には昔の古き良き交野の風景とかが描かれています。

この交野かるた。見ていて気になりませんか?

この絵に描かれているものは、実際にあるのか。

この絵に描かれているものは、今どーなっているのか。


って。

ならば、実際に確かめてみよう!

ということで、

過去と今をつなぐ「交野かるた」シリーズ

記念すべき第1回目。
舞台は、私市にある天田の宮神社です。



『天田の宮は 田の神まつる』
あ1-2

photo2
このかるたに書かれている絵は、平成の現在いったいどーなっているんでしょうか。
それでは、現在の天田の宮神社をご覧ください☆=
photo1
おぉこれはっ!?まったく変わらずじゃーないですか!変化といえば、時の経過とともに木が大きくなって、森っぽさがアップしているところと電柱柱やフェンスといったものが出来ているところでしょうか。それ以外は、かるたの絵そのままです。

この鳥居と社(やしろ)がいつの頃からここにあるのかは分かりませんが、何十年と変わらず。そしてこれからも変わらず歴史を刻んでいくのでしょうね。きっと。


ちなみに、かるたの裏の説明には、

~私市天田の宮は、古代の田を祭った神社です。このあたりには土地が広く、水がよく行きわたり、稲作には申し分のない良田でした。こうしたことから、古代人がこの田を美田とあがめて、「あま田」の名前ができました。そして天野川の上流に田の宮を建てて拝んだのがはじまりです~

と記載されています。

交野の地は古来より、肥沃な土地柄であったので、その自然の恵みに感謝するために社を建てたのでしょうね。

<ちょっと補足~”あまの”の由来について~>
はるか昔。この地域は肥沃な土地で作物が豊かに実ったことから”甘野(あまの)”と言われていたそうです。その甘野にある川は甘野川。田は甘田と呼ばれていました。この甘田に田の神を祀って建てた神社が天田の宮神社です。

ちなみにその後、
物部氏が交野地方に進出し、その祖神である饒速日命(ニギハヤニミコト / 彼が天界から降り立った地が、岩船神社付近で、そこは天孫降臨の地となっています)を祭神として長く祭っていました。

その後、平安時代に入り宮廷貴族が狩猟に来ては盛んに和歌を詠み、当時貴族の間で流行っていた物語の七夕伝説にちなみ、甘野川が天の川、甘田は天田と呼ばれるようになりました。

そしてそれが、交野は「七夕発祥の地」であるという云われとなっています。

⇒歴史の授業で習った物部氏の一族が、交野に住んでいたって知ってました?
もしかしたら、あなたは「物部氏の末裔」かもしれませんね☆= というか、
饒速日命の子孫だったりして。



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