天孫降臨の伝説がいまなお息づく磐船神社。

ここは天孫降臨の地
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そんなにすごく大きな神社ではないのですが、

苔むした大きな岩があったり、岩窟巡りっていうのができたり、御神体が大岩だったりと岩にまつわる事が多い神社で里山の緑と岩の雰囲気、それからこの神社がもつ厳かな感じがするところです。

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鳥居をくぐって左側に御神体のある大岩がある拝殿があります。

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(御神体の大岩は高さおよそ12メートル、長さ12メートルの船形をしている巨岩)

拝殿脇になにやらおわします。

御神体ではなく何かちょっと派手な感じのがありました。

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これはっ!?
!!!
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干支の猿??
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2019年の干支は亥(イ/イノシシ)。

そして行った時は夏だったのでお正月でもなんでもないシーズンだったんですが、猿がいらっしゃいました。

ちょっとヒップホップな子猿さん
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3体のお猿さんがおって、一番大きなお猿さんの横にいるお猿さん(お猿さんBと仮称)がビシーっと両手をチェケラッチョされてます。

お猿さんBがチェケラッチョして指差す方向!!
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お猿さんBが指差すまさにそこには、磐船神社の御神体になっている大きな岩がありました。

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なぜ亥ではなく干支の猿と思われるものがあるのか?

という疑問の答えがもしかしたら指差すこのお猿さんBのチェケラッチョにあるのかもしれません。

御神体どこかしら?

ここ!こーこー!


って一目でわかるように大岩を指差して教えてくれているようです。

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確かにこの御神体になっている大岩は拝殿の屋根を包み込みような感じになっていて、それはそれは立派なものです。

磐船神社の存在を象徴しているものなのでお猿さんB(仮称)が指差すのもわかる気がします。

由緒が書かれた石碑があって、そこに磐船神社とお猿さんの像に何か関係があるかも・・・

と思い、確認してみた。

磐船神社御由緒

御祭神
天照國照彦天火明奇玉饒速日尊(饒速日尊 にぎはやひのみこと)

『日本書紀』や、『古事記』『先代旧辞本紀』などの書物によりますと、天孫饒速日尊は天照大御神の御孫神にあたり、大御神の御命令により、高天原より天の磐船に乗って河内國河上哮ヶ峯に降臨されました。

のちの大和國に入り、大和河内地方を開発し建国の礎を築かれ、人々より天津神(天より来られた貴い神様)と崇敬された神様であります。

また、饒速日命が降臨に祭して、天空より国土を望まれて「虚空見つ日本國(やまとのくに)」と言われた事が「やまと」という国号の始まりとされています。

尊は高天原より持って来られた十種端神寳(とくさみずのかんだから)により鎮魂祭を行い、病に苦しむ人々を助け、死人をも蘇らせたと云われ、加持祈祷の根元として神道のみならず修験道、密教、陰陽道からも崇敬されて来ました。

尊の子孫は物部氏と呼ばれる古代大和朝廷における最大最強の氏族を形成し、大連として代々の天皇に仕えており、ここ交野の地には肩野物部氏という一族がおりました。

当神社は、饒速日尊が乗って来られてあ天の磐船を御神体として祀り、古来より天孫降臨の聖地として崇敬されています。

当神社の創祀年代は詳らかではありませんが、磐座(いわくら)信仰という神道最古の信仰形態と伝承の内容から、縄文から弥生への過渡期まで遡ると考えられております。

その後、物部氏を中心として祭祀が行われていましたが、物部氏本宗の滅亡後、山岳仏教や住吉信仰などの影響を受けるようになり、平安時代には「北嶺の宿」と呼ばれ、生駒山系の修験道の一大行場として変貌を遂げるに至り、境内には四社明神の石仏や、不動明王像が祀られ、弘法大師の作とされる磐船和讃が伝承されています。

今でも神仏習合を色濃く残しており、例大祭には護摩壇を設けて大火焚祭が行われています。

また、当社大岩窟は、古来より行場として知られ、現在でも多くの行者や拝観者が訪れます。

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と由緒について確認する事ができましたが、猿についての説明というか猿のさの字もありませんでした。

ただ、由緒書きからは以下のような!!!となる磐船神社のすごさが伝わる記述が!

・御神体の大岩は、天孫、饒速日命が天から移動するときに使った宇宙船みたいなのである

・創建は定かではないが、少なくとも平安時代以前、縄文時代〜弥生時代にまで遡る可能性がある事

・弘法大師とも所縁がありそう


(弘法大師=空海は同じく交野市にある獅子窟寺で修行してます)

平安時代以前、縄文から弥生へ移行するあたりの時代っていうと縄文時代は今から1万年以上前、弥生時代は稲作が伝わった頃なので今から2400年前くらい、平安時代は1300年くらい前っていうことで磐船神社の歴史はかなり前からである!っていうことは由緒書きからも確認できました。

結局のところ、

なぜ、干支の猿?が拝殿横におるのか?

の正解はわからず仕舞いではあったのですが、交野タイムズ的には上述の通り、きっとこの猿B(仮称)の指差す(チェケラッチョ)方向と御神体の大岩がいい感じになっているから

という推測をする次第です。

ちなみに、このお猿さんは前にどっかで見たなぁと思って、交野タイムズの過去記事検索をしてみたら、やっぱり以前ちょっと登場してました。

それは2016年に磐船神社へ初詣した時の記事でこのお猿さんが別の場所に置かれてました。




なので、2019年夏に出会った拝殿横のお猿さんは2016年に出会った干支の猿でした。