交野市私部、交野市役所の裏側には私部の昔ながらの小径が続いています。

IMG_9174

もう何十年も、もしかすると100年以上雰囲気は変わっていないのかもしれない!っていう感じのどこか懐かしい景色の一角に、無量光寺というお寺があります。

無量光寺
IMG_9147

無量光寺は交野かるたに登場するくらい地元では有名なお寺です。

お寺ができた正確なことはわかっていないようですが、創建は平安時代から鎌倉時代頃のようです。

嘉吉の乱(1441年)で一度消失した歴史があることから室町時代には確実に存在していた浄土真宗本願寺派のお寺です。

IMG_9149

門をくぐると正面に本堂。

IMG_9150

そして本堂の左手には何やらいらっしゃいます。

IMG_9152

親鸞聖人像と台座にあることから親鸞の像でした。

親鸞さん
IMG_9153

笠を被っていらっしゃるのでお顔がよく見えませんでしたがとても威厳のある像です。

IMG_9157

お寺の門をくぐってすぐ横にはめっちゃでっかい木があって市の指定樹林のようです。

IMG_9159

親鸞さんとめっちゃデカイ木の配置はこう。

IMG_9158

これだけでもここに来た甲斐があるぞ!

っていう感じなのですが、こちら無量光寺さんには交野の歴史を垣間見ることができるそれはそれは貴重なあるモノがあります。

それは、本堂の右手にある!
IMG_9160

!!!
IMG_9161

高さ1メートル以上はある何やらごっついオブジェみたいなのがあって、和尚さんの作品かしらん?なんて思っちゃうところなんですが、これがその交野の歴史を垣間見ることができるとても貴重なモノです。

無量光寺
本堂大棟獅子口
IMG_9165

無量光寺本堂大棟獅子口と書かれています。

IMG_9166

説明書きがありました。

この獅子口は、瓦の産地であった当地私部で寛延4年(1751)に製作され、現在の無量光寺の建立以来250年以上も屋根を護っていました。

屋根の棟仕舞は、6世紀後半に日本に瓦が伝来した当初、鴟尾(しび)にはじまり、桧皮葺などの建物に使うために獅子口が考案されました。

その獅子口は、京都御所にある桧皮葺の重要な建物に使用され、獅子口のことを御所棟鬼板と別に称し、「紫宸(ししん)口」と記すこともありました。

無量光寺の屋根を護る獅子口は、経之巻、綾筋、巴文をあしらった伝統的な意匠を遵守しています。
平成26年(2014)、無量光寺門信徒の一大決心と多大なる尽力によって実現した本堂の修復工事(株式会社金剛組)において、従来の意匠を踏襲した新しい獅子口が本堂の屋根に飾られ、新たな歴史を刻んでいます。

平成27年3月  無量光寺

獅子口とは、屋根の棟飾りの種類の事で屋根の両端に設置する瓦のことをいうようです。

このオブジェみたいなモノは無量光寺の屋根瓦でした。

IMG_9162

そしてなんと!

無量光寺の瓦は、1751年、すなわち250年以上も昔に作られたモノとのこと。

さらに「えっ!そうだったの!」っていう交野市民驚嘆の事実が説明書きに書かれてて、

それは・・・

交野はかつて、瓦の産地だった

ということ。

交野で瓦とな!?

ちょっと調べてみるとかたの古文化めぐりというウェブサイトがあって(ゴッドファーザー交野さんのウェブサイト星のまち交野に匹敵する交野の歴史めっちゃ詳しく書かれているウェブサイト)、そこには、

・鎌倉時代、交野に多くのお寺が建てられた

・倉治の岩倉開元寺、傍示の八葉蓮華寺、私市の獅子窟寺、星田の小松寺も鎌倉時代

・交野のお寺を発掘調査すると瓦が出てくる

・そしてその瓦は大和(奈良県)の瓦と同じ模様の瓦だった

・つまり、大和の瓦職人が交野で瓦を作ってた

と記載がありました。

さらに前述、ゴッドファーザー交野さんの神サイト「星のまち交野」に平成23年に交野市歴史民俗資料展示室で開催されていた「交野市の瓦展」っていう企画展のお知らせが掲載されていて、そこにはこんなことが書かれていました。

江戸時代の交野の瓦づくり

江戸時代の交野には、瓦の工房が多くありました。

古墳時代の茄子作窯や、飛鳥時代・奈良時代の大谷窯といった須恵器窯が築かれていることからもわかるように。やきものづくりに適した土が取れることを利用して、瓦を生産していたようです。

市内に現在残されている江戸時代の瓦の多くには、私部、星田、郡津など地名とともに、瓦師の名を刻印したものが多く残されています。


知っている人は知っていたのかもしれませんが、おそらく大半の方(きっと交野市人口80%くらい)はかつて交野に瓦を作る工房があったという事実、ご存知なかったんじゃーないでしょうか。

IMG_9173
(無量光寺。現在は新しい瓦が設置されてるみたい)

余談ですが、私部城(交野城)にも当時としてはかなり珍しく、屋根瓦が葺かれていたそうです。

私部城は織田信長の時代頃にできたものなので少なくとも室町時代〜江戸時代には交野市で瓦が作られていたということがわかります。

IMG_9176

交野は七夕伝説発祥の地と言われている時以前、縄文・弥生、もっと遡って石器時代から人が生活していたところであること、京都と奈良、大阪の中間に位置するところだったこともあって人の往来もあって、人々の生活を支える瓦作りがその昔活発だったという理由のいくつかあるうちの1つなんだと思います。

d8967240-s

交野の歴史ってかなり興味深いですね!