二月堂

っていうと奈良の東大寺の二月堂を思い出す方がおそらくほぼほぼだと思いますが、交野市私部(きさべ)にも二月堂があるっていうことはご存知でしょうか?

私部保育園
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交野小学校の道向かいにある私部保育園の所。

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私部保育園と交野小学校の間

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石の柱がある!
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石の柱があって、そのすぐ脇には祠がありました。

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おそらく花崗岩でできた一枚石の立派な石柱で、てっぺんには平っこい石が乗っていて帽子みたいになっています。

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柱の下側、祠側に字が掘られています。

二月堂
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一月でも三月でもなく二月!

二月堂って書かれています。

住吉神社が近いので何か関係がありそうですが、いろいろ周囲を観てみたのですが、二月堂って書かれている以外に目立ったものなかったので・・・とりあえず、

Googleで検索してみた
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検索ワードで「交野 二月堂」ってしてみるとババーンと検索結果が出てきたんですが、二月堂っていう単語のインパクトが交野っていう単語よりも強いのか検索上位は東大寺の二月堂ばっかり・・・

そんな中。

交野について書かれているのを発見!
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”かいがけの道から傍示の里へー戸原のトップページ”っていうのがあって、そこに「二月堂の伏拝」っていう記載を見つけました。

なので、そのページに行ってみた!

交野歴史健康ウォーク
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(画像クリックで交野歴史健康ウォークのページへ)

交野古文化同好会さんのウェブサイトでした!

古文化同好会さんは、交野市の歴史のスペシャリスト集団。

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(古文化同好会さんについてはこちらの記事をチェック!)

レジェンド交野ことMr.交野の歴史タカオさんも在籍されているところです。

話を戻して、その交野歴史健康ウォークの2002年7月13日のページにこの私部の二月堂の謎に迫る記載がありました。

さくさ口(二月堂)
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私部住吉神社北側からの古い道と交野小学校の校門を南に行った通用門前で出会う辻を、さくさ口という。

辻の北側に「二月堂」と刻まれた細長い伏拝神(ふしょうがみ)の石柱が立っている。

高さ約2m、巾36cm、厚さ20cmで石柱の上に平べったい自然石がのっている。

上部に四角い窓が開いている。

その下に「二月堂」と刻まれ、道に面した下部には「他力中」と刻まれている。

傍らには小さな祠があり、最近この祠は新しく作りかえられた。

さくさ口の二月堂の石柱  
この地域の小字名が「才が辻(さいがつじ)」という。

ここに昔、私部城を守る屯所がおかれていた。

私部から東への出入り口であった。

北川沿いに寺村へ出れば「かいがけ道」から大和へ、私部の墓地を通って行けば「郡南街道」を経由して同じく高山を経て大和へと通じることから私部にとって要の場所であった。

それ故ここに、屯所を設けて守りを固めたのであろう。

この屯所を守る人物に阪長(さかおさ)という人がいたことから、それが「さかおさ口」となり、訛って「さくさ口」になったといわれている。  

昔から村の外れには道祖神が祭られる。

「才が辻」と言う地名はこれからつけられたと思う。  

これは村に悪霊が入り込まないように、また出て行く人にとって旅の安全を祈願して祭ったものである。伏拝神は現地までは遠くてなかなか行けないものだから、ここからその方向を見てこの伏拝神を拝むことによって願いをかなえてもらおうとしたのである。  

「二月堂」は人間切羽詰った時に、心のよりどころとなったのである。  

今も、祠に花が供えられ、時には線香の煙が立つことがあるのは村の人にとって道祖神を伏拝神を信仰することで心の安らぎを願うよりどころとなっているのである。

(引用;交野歴史健康ウォークより。写真は交野タイムズ)

なんと!

この石柱のある小道には名前があって、

さくさ口

って昔から言われているんだそうな!

しかも、そのさくさ口の名前の由来が、織田信長の時代にあった交野市のお城、私部城の屯所を守る阪長さんという方の名前から「さかおさ口」→「さくさ口」となったそうな。

またこの付近の地名は、才が辻と呼ばれているそうで、村の外れにある道祖神にも由来するそうです。

ということで、私部にあるこの石柱、二月堂について、

ザックリとまとめるとこうだ!

1)この辺りは私部村の郊外に位置するところでこの石柱はきっと道祖神である

2)高さ約2m、巾36cm、厚さ20cmで石柱である。てっぺんには自然石が乗せられている。

3)二月堂っていう字以外にも「他力中」ってう字が刻まれている。

4)二月堂の石柱横の祠は2002年頃に新しくなった。

5)二月堂と東大寺の二月堂との関係は定かではないが、おそらく参拝代理の石としての役割もあろうことから、東大寺の二月堂のお参りの代わりにこの石柱を参られたんだと思う(ここから東大寺まで歩いて20キロ弱の距離。ちなみに寝屋川市にも二月堂の石柱があるようで、寝屋川市役所のホームページに紹介されてました)。

6)祠はお参りされる方に対しても設けられた可能性がある。

7)ただ、いつからこの石柱があるのか?石柱を建てた時に二月堂って文字を入れたのかそれとももっと太古の昔から実はこの石柱はあって後から二月堂って彫られたのか?年代不明(祠も同じくいつできたのか不明)。

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石柱には四角く切り抜かれている箇所があって、これはおそらく灯篭の役割もあったという事なんだと思います。

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まだなんかしっくりこないのですが、きっともっと具体的なことがわかる時がくると思うので、また詳しい事がわかり次第ご紹介させていただきます。

交野の歴史は古くて、古代から現在に至る中で街のところどころに歴史的なモノと出会います。

なんだコレっ!?っていう視点で普段見慣れているモノを調べていくととても興味深く面白いですね。

ハラダ@交野タイムズ