ほんまに寝屋川の物語なのか!?日本経済新聞に『鉢かづき姫』のことが載ってる
鉢かづき姫
日本昔話とかでも出てきたのであっ!その話知ってる!なんていう方もいらっしゃるかと思います。
というか、寝屋川でめっちゃ見る!ってなる事が多いんじゃーないでしょうか。
でも・・・
その舞台が「交野」だったという方はあまりいらっしゃらないかもしれません。
日本経済新聞に寝屋川で愛される「鉢かづき姫」というタイトルがあったので、ここでご紹介させて頂きます。
寝屋川で愛される「鉢かづき姫」(もっと関西)とことんサーチ
(画像クリックで日本経済新聞の記事へ)
記事には、
寝屋川市で親しまれている鉢かづき姫のルーツは果たして寝屋川にあるのか?
あるとすれば、その歴史的根拠か何なのか?といった内容が書かれていて寝屋川のいろいろなところに記者さんが取材に行かれて確認をされたとても興味深い記事です。
記事内容の詳細は日経新聞の記事をご確認頂くとして、ざくっと記事に書かれていることを言及すると・・・
鉢かづき姫の物語は、
・・・
室町時代から江戸時代にかけてリリースされた御伽草子(一寸法師とか浦島太郎とかでも有名)にある物語の1つである
・・・
御伽草子の鉢かづき姫は「河内の国、交野の里に……」と物語が始まる
・・・
当時の舞台設定で出てくる交野という地名は、今の交野市や枚方市、寝屋川市の一部を含む広い地域野のことを指し、寝屋川市であるとはピンポイントで限定できない
と御伽草紙での鉢かづき姫=寝屋川という根拠は見出せなかったようです。
ただし、一方で、御伽草紙から派生してできた潤色版に河州交野郡寝屋長者鉢記というのがあって、それは「万治二年松江本」(万治=元号で徳川家綱とかの時代:1658年〜1661年)と呼ばれる御伽草子の諸本の1つを明治初め頃に写本したものだそうで御伽草紙にはみれらないアレンジされた箇所等があるそうです。
この潤色版(河州交野郡寝屋長者鉢記)に
”河内の国、交野郡に寝屋と申すところに大長者あり”
と記載があることから、
鉢かづき姫=寝屋=寝屋川
というのが定着したようだとのこと。
むむ〜なかなか奥深く興味深い話です。
御伽草紙を研究しまくった結果、詳細を記するということで、河州交野郡寝屋長者鉢記では寝屋という地名を入れた可能性もありますし、鉢かづき姫の物語をめっちゃ気に入った方が交野郡なら寝屋川もそうやん!寝屋川を舞台という設定にしよう!と考えてのことだったのかもしれませんが、いずれにせよ、寝屋川が舞台とする物語もあるというのは事実のようです。
歴史や昔話ってそーいう風に考えてみてもなかなか面白いなぁと。
星田北6丁目付近
星田からちょっと行くと寝屋川市になるんですが、寝屋川市に入ったところらへんに鉢かづき姫のお屋敷があったとされる舞台なんだそうです。
交野の歴史はめっちゃ古いので、いろいろな伝説や物語があるみたいですが、せめて七夕伝説だけはオリジナルは交野市やで!とずっと言い続けたいと思う次第です。
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(画像クリックで記事へ)
残念!! 寝屋川市のほうが特定してました。。。