交野市教育文化会館(倉治図書館の横)にある民俗資料室で5月13日から開催されている指定文化財展。

交野市教育文化会館
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7月27日から企画展第二弾となる

「絵図が語る交野」
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が開催されています。

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同企画展では、交野市の指定文化財となっている星田村絵図をはじめ、倉治、私部、私市、森、郡津などかつて村であった各地区の絵図が展示されています。

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展示の様子

今回は、元禄十年版のオリジナル星田村絵図が特別展示されています。

特別展示はお盆休み明けまでだったのでもう特別展示品は見ることができませんが、オリジナルを拡大した絵図は展示されているのでそちらを見て頂き、江戸時代初期の星田村の様子はどんなものであったかを是非イメージしてください。

民俗資料室の学芸員さんによると、今回の企画展では、元禄十年版の星田村絵図に加え、天保十四年版の星田村絵図、そして幕末から明治期に描かれたと思われる星田村大絵図の三点が目玉展示とされているそうです。

詳しい内容は見てからのお楽しみということにしておきたいと思いますが、こうした絵図が描かれた理由についてはいろいろなことが考えられる、と学芸員さん。

第一は、土地の価値を知るため。

ご存知のように、江戸時代は米を年貢として納めなくてはなりませんでした。その際、各土地の生産量を把握し、それを三段階に分け年貢の納める量を決めていたそうです。その各土地の生産量を記すのが絵図の目的の一つだったのです。

第二は、村の概要を把握する目的から絵図が作成。


江戸幕府は統一した国家ではなかったものの、緩やかな藩の連合体を束ねる中央政府的な役目を果たしていたことから、全国の村や地形を把握しておく必要がありました。こうした目的から絵図が書かれた面もあります。

第三は、土地区画の明確化のため。


お百姓さんにとって農作業をする上で大事なことが水利です。川から水をどのように引き、そして何時間で水の田んぼへの引き込みを交代するかなど、水の問題はお百姓さんにとって死活問題でもあります。

水利を巡っては、交野でも論争になったことがあったようで、「鎌田水論一件日記」と題された裁判記録が残されており、水利用後の排水の仕方について争われた経緯が記されています。

水や土地の利用を巡って不要な争いが起きないよう、水路や土地がより正確に描かれた絵図を作成する必要があったのです。

ちなみに、水路や土地区画を含んだ絵図を書いたのは絵師と呼ばれる人々で、正確に絵図を書かなかった場合は重いペナルティーを受けるといった誓約書を書かされ絵図を描いたそうです。

なので、手書きとはいえ、当時としてはかなり正確に地形や川が描かれていた、と言えるでしょう。

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星田村大絵図のコピーが貼られている(右)

今回の企画展について学芸員さんは、「多くの市民の方に来ていただき、交野の昔はどうだったのかを知って頂きたい。もちろん関心のある方も是非お越しください」とおっしゃていました。

平成29年度第二回企画展交野市指定文化財展「絵図が語る交野」は、9月24日まで、倉治にある教育文化会館民俗資料室で開催されています。

(月、火、祝日は休館日)

この度、民俗資料室のFacebookページができたそうです。こちらもぜひご覧ください。

今回の記事掲載にあたり、取材や写真などについて、I Love Katanoさんにお世話になりました。
I Love Katanoさんいつもありがとうございます!


ハラダ@交野タイムズ